どんな子どもであっても

どんな子ども達でも、
「知りたい」「わかりたい」「出来るようになりたい」と思っている。
心の奥底にあるその思いを感じ取り、信じ抜くことができるか?


「あの子はどうせ…」
「何を言っても…」


そんな風に決めつけない。
決めつけた時点で未来の芽はつぶれる。
どの子も「伸びたい」と思っている。
それを感じ取れればどんな声をかけるべきか見えてくる。



子ども達に強制する権利など教師にはない。
教師ができることはただ一つ。
子ども達の心に内なる強制力が芽生えるよう支え抜くこと。
外からの圧力でやる行動には何の意味もない。
「やらされる」「やらなければならない」ことに価値はない。



己の内側から湧きあがる「やりたい」という思いにこそ価値がある。
子ども達に「目的」を語り、学ぶ「価値」に気付かせる。
すぐに消え去っていくそれらに毎日目を向けさせ続ける。
その繰り返しでしか人は育たない。



何のために呼ぶのか?
何のために叱るのか?
何のために話すのか?
何のために考えさせるのか?
何のために語るのか?



その「目的」がなければ怒りをぶつけることが「目的」になってしまう。
学ぼうとしない子ども達の心の奥底にある感情を掴み取る。
開き直りの奥にある「哀しみ」と「強さ」に目が向けられるか?


答えは常に子ども達の中にある。