「目的」のみを語り抜く場を…

tontan先生と出会ってもうすぐ二年。
2人で何時間語り合ってきただろうか。
自分がここまで成長してこれたのはこの人の存在が欠かせない。


二年前まで中学校教師だった自分。
中学校教師だったころ『学び合い』の考え方を耳にした。
その時自分は真っ先にその考え方を否定した。



「子どもなんてルールに縛り付けていうことをきかせるものだ。」と。



tontan先生と初めて話した時のことも覚えている。
私は不信感のかたまり。
『学び合い』の考え方を受け入れようとはしなかった。

そんな自分を180度変えたものは何か?
そんなことを最近考える。


人が成長する環境って?


「語り合った時間?」とはじめは考えた。
しかし、それだけではない気がする。


そうだ。何を語り合ったのかが大切なのだ。
この二年間の会話を思い出す。

tontan先生は決して自分に「方法」を語らなかった。
「学び合い」ってこうやるんだよ。なんて決して話さなかった。


話しているといつも知らないうちに「教師の在り方」の話になっていく。
私が方法を問いかけても 、そこから話は深く深く潜り込んでいき、
最終的には「教育の在り方」「教師の在り方」にまで達する。



「課題はどうしましょう?」
「この教科はどうやります?」



なんていつも浅い方法を問いかけていた自分。
tontan先生はそこを入り口に深く深く潜り込んでいく。
そう、tontan先生が常に見つめ、語っていたのは「目的」。


自分はそんな中で日々を送ってきた。
目先の「テクニック」ではなく、「教育」、「人間」の本質を語り合う日々。
この日々が自分をここまで成長させてくれたのだ。


初めの問いに戻る。
では「人を成長させる環境って?」

それは「方法」レベルではなくて、もっと奥にあるものを語り合う場だろう。


「教育って何?」
「教えるってどういうこと?」
「何のために学ぶの?」
「教師の在り方って?」
「自立って何?」…



我々がすべきことは「学び合い」ってどうやるの?
というレベルの話をすることではなく。
もっともっと奥の話なのではないか?


「なんとかしなくては…」と焦りが募り、どうしても我々は方法論に落ちてしまいがちである。
しかし、自己を確立させていくためには、「目的」を語り合うことが必要不可欠。
急がば回れ
「目的」を見据えずに子ども達を成長させることはできない。
そんなことをふと考える。

今『学び合い』をされている先生方は
「イノーベーター」か「アーリーアダプター」なのだろう。
先日の講演で西川先生は次の一手
「アーリーマジョリティ」を動かすための戦略をお話をされていた。
確かにこの広がりを考えるとそのような時期にきているのかもしれない。


しかし、私は恐れる。
多くの研究団体のように「理念」が薄れ、
「テクニック」だけが一人歩きしてはいかないかを。


『学び合い』が批判対象となった時、その時に防波堤になるのは我々
「イノーベーター」「アーリーアダプター」だろう。


襲いかかる批判を飲み込み、さらに強固なものにしていけるか?
それともその波に飲み込まれ、時代の藻屑と散るか?



それはすべて我々の実践にかかっているのではないだろうか?


西川先生は未来を見据えて歩み続けている。
では、我々「イノーベーター」「アーリーアダプター」がすべきことは何なのだろうか?


今我々がすべきことは、結果を叩き出すこと。
来たるべきその日に向けて全力で準備をすること。
己の実践を極限まで磨き抜くことしかない。


そのためには我々は『学び合い』という次元を超えて、
「目的」を語り合う必要がある。
私がtontan先生に学んだような場が日本全国に必要なのだ。
方法論ではなく、もっともっと深い「目的」を語り合う場。
そんな場がほしい。


『学び合い』を学ぶことは入り口に過ぎない。
『学び合い』は単なる手段にしかすぎないのだ。


教育の「目的」と自分の実践を繋げ、それを「かた(ちづく)る」場。
そんな場が必要。
我々がそれを語れるようになった時、
「学び合い」の理念が揺るぎないものになるのではないだろうか?


西川先生が「テクニック」を書き、門戸を開くのは未来を見据えての行動。
では我々「イノーベーター」「アーリーアダプター」 は未来を見据えて何をする?
それを本気で考えていかないといけない。
我々はいつまでも「わからない」「教えてください」といっていてはいけないのだ。