「するべき行動」から「あるべき姿」へ

教師として必要な力。
たった一つだけ選べと言われたら何を選ぶだろう?



必要な力はたくさんあるだろう。
しかし、あえてその中から一つを選び抜く。これだけは譲れない。
これだけは削ぎ落とせないものって何だ?



教師にとって絶対に削ぎ落とせないこと。
それは「あるべき姿」を語り続けられること。



「するべき行動」ではなく「あるべき姿」を語り続けられるか?
常に自分に問いかける。
「するべき行動」を示すのは簡単だ。
子ども達を動かすノウハウはこの世にたくさんあふれている。
技術を磨いていけば「するべき行動」は示せるようになる。



「するべき行動」を示せるようになることは大切だ。
しかし、それはいろはの「い」に過ぎない。
「するべき行動」を示せても、子ども達は育たない。
むしろ教師に頼りきってしまい、自発性は生まれない。
それに気付いたその時が教師としてのスタートライン。



「するべき行動」から「あるべき姿」へ目を向けられるか?
これが教師の第二の壁。
ここを越えないと子ども達の心に突き刺さる言葉は語れない。
「するべき行動」は具体。
「あるべき姿」は抽象。
具体から抽象に思考を広げていく。
確かに「在り方」は抽象的。
言われてもピンとこない。
見えにくいし掴みにくい。
しかし、だからこそ何度でも語ることができる。



「あるべき姿」はすべての根底にある。
いつ、いかなる場面でも「あるべき姿」はただ一つ。
それに対して「するべき行動」は枝葉。
「するべき行動」は無限にある。
無限にあるもの、すべてに対する行動を教師は示せない。
その限界に気付いた時が教師としてのスタートライン。



多くの教員は「するべき行動」を示せることがゴールだと考えている。
しかし、そこはゴールではない。
その奥にある「あるべき姿」を語り抜けること。
それが真のゴール。どこが入口でもいいだろう。
しかし、決してゴールを見失ってはいけない。



「あるべき姿」をブレずに真っ直ぐに語れるようになった時、
まず変わるのは自分自身だ。
自分自身が変われば子ども達は自然と変わっていく。
「あるべき姿」を語るためには自分が変わらなくてはならない。
だから苦しい。
目を背けたくなる。
それが「在り方」と言われると苦しくなる理由。



しかし、その痛みを乗り越えないと未来は拓けない。
この壁は1人では乗り越えられない。
だからこそ皆が繋がる必要がある。
ゴールを定め、チームとなって向かっていける集団をつくる。