リスクは選び抜くもの

ドラッカーは著書で基本的にリスクには4つの種類があると言っている。



1つ目は「負うべきリスク」
これは仕事をするにあたって必ずつきまとうリスク。
トラック運転手なら交通事故。
食品会社なら食中毒など。
このリスクをおかさなければ先に進めない。それが「負うべきリスク」



4種類のリスク。2つ目と3つ目はペア。
それは「負えるリスク」と「負えないリスク」だ。
「負えるリスク」とは、失敗しても多少の損失で済むリスク。
自分にとって致命傷にならないリスク。
「負えないリスク」はその逆。
そのリスクをおかして万が一失敗したら致命傷になるリスク。
今まで築き上げてきたものが一瞬で崩れ去る危険性があるリスク。
それが「負えないリスク」




4種類のリスク。4つ目。これが一番興味深い。



それは「負わないリスク」。



日々刻々と状況が変化しているにも関わらず無難を求め、何も変えようとしないリスク。
リスクを負わないことで日々少しずつ腐っていく。
やらないことで事業が衰退していくリスク。
それが「負わないリスク」



教員の世界。「負うべきリスク」「負えるリスク」「負えないリスク」に関しては誰もが意識できていると思われる。
しかし、「負わないリスク」について我々教員は頗る鈍い傾向にはないか?
ふとそんなことを考える。
我々教員は「普通」を求める。
「普通」にさえやっていけば給料はもらえる。
「負えないリスク」を踏まなければクビにもならない。
だから踏襲することは得意だが、変革することを求められるとなかなか動けない。



学級経営も同じ。大半は1年〜2年で受け持ちが変わる。
企業のように長期的に結果を出し続けることを求められない。
「負えないリスク」を踏まないように3月まで逃げ切る。
そんな考えをもっている人も少なくない。



教員の世界。確かに失敗は見えにくい。
しかし、それはまさに「負わないリスク」なのではないだろうか?
自己変革にはパワーがいる。そして痛みも伴う。
それから逃げ、自分を納得させ、前の自分を踏襲し続けるのは長期的に自分を腐らせる。
リスクを負わないことがリスクとなる。
我々教師の「負うべきリスク」は何か?
「負わないリスク」をおかしていないか?
常に我が身を振り返りながら進むしかない。
誰もが答えなどわからない。
答えなき道を進むのは苦しい。
しかし、普通を求め、揺れ動くのをやめた時「負わないリスク」が我が身に襲いかかる。



大事なのはバランス。
リスクを避け続けるのではなく、どのリスクを選ぶか?
そこが大切。リスクのない世の中はない。
だからこそリスクを迎え撃つ。
そんな教師に私はなる。