「信じる」って何よ?

「学び合い」が崩れる原因とは何か?
その原因の一つに「信じる」ということに対する認識のズレがあると私は思う。



「学び合い」の考え方。
「子ども達は有能。だから信じて任せる。」
これに悩んだ時期があった。



「子ども達の学びが深まっていないように感じていても止めずに信じて見守るべき?」
「そもそも信じるって何?」子ども達の学びを見ながら必死で考えていた。そして身動きがとれなくなった。



今ならはっきりとわかる。
その時の自分の授業は
「信じて任せる」ではなく
「信じているつもりでほったらかす」授業だった。




「信じる」という言葉に対する認識があまりにも浅すぎた。
「全員ができる」という課題を押し付け、
子ども達がそれを達成できることを「信じ」ていた。
しかしそれはなかなか達成できなかった。
自分は勘違いした。「信じる力が足りない」と。
そして信じるあまり言葉はきつくなった。
そしてクラスは疲弊していった。



「信じる」とは何か?
それは子ども達が「全員」を達成できることを「信じる」ことではない。
子ども達がたとえ失敗してもそれを修正し、学び続けていける人間であることを「信じる」ことなのだ。



本気でそう考えられた時、子ども達への対応は変わってくる。
学びの雰囲気が崩れていたら即ストップをかけられるようになる。
そして本気で叱れる。
「あなたらしい学びに修正しなさい!」と。
たとえ思うように結果が出なくても本気で言える。「大丈夫。君達ならきっと修正できる。次の時間はもっといい学びができる。」と。
「全員」という結果を出すことを「信じる」のではなく、修正し学び続けられることを「信じる」。
これが「信じて任せる」ということ。



「全員ができる」という結果を、教師が押し付けることは「信じる」とは言えない。たとえそれが数回成功したとしても、連戦連勝はあり得ない。
「全員が」「全員で」という言葉からいつかは離れていかねばならない。
その感覚を我々教師はもたなければならない。



「学び合い」は諸刃の剣。
「信じる」というような当たり前の言葉に対する認識の甘さがブレを生む。
だからこそ教師は日々自らを省みながら前へ進んでいかねばならない。