「そんなの当たり前じゃん!」

帰りの学活での出来事。
1人の男子が手を挙げる。



「明日は1時間目に体育でサッカーがあるので、朝のうちにラインを引きたいのですが。誰か手伝ってくれませんか?」



「は〜い!」
数人の男子が挙手。
手を挙げた子達は全員有志。
係でもなんでもない。


朝、職員室に着くと校庭でせっせとラインを引く子ども達。
「自分達でしっかり準備するなんて偉いね」
職員室の先生達は子ども達のことを褒めてくれた。
しかし、自分達の授業。自分達の手で準備するのは当たり前のことだと私は思う。


子ども達に聞いてみる。
「職員室の先生が準備している君達を見て褒めていたよ。どう?」
子ども達は戸惑った表情を浮かべる。
そして誇らしげな顔は一切せずに答える。
「別に…。当たり前だと思います。」
準備した子達全員同じ答え。



彼らにとっては「自分のことは自分達でやる」ということが当たり前になっている。学級で争いが起きてもほとんど自分達の手で解決してしまう。
私に頼ってくるのは本当に困った時だけ。
最近のクラス会議では7〜8個の議題を難なく解決してしまう。
しかし、誰もそれを自慢するものはいない。
すべては「当たり前」のように始まり、
「当たり前」のように去っていく。
そして、子ども達にとって、それが「当たり前」になっている。



子ども達の様子を見ていてはっと気づく。
なるほどこれが「コンフォートゾーンが上がった状態」なのだ。



「当たり前の質を上げること」
それが「コンフォートゾーンを上げる」ということ。



「これが私達らしさ。別に誇ることでもなんでもない。」
そういう感覚をクラス全体がもつこと。
「当たり前」の質を上げていく。
それが子ども達を育てるということ。
他人から見て「すごい」と思えることを「当たり前」と思ってやり続けることができる子は必ず伸びていく。
そして未来を切り拓いていける。



学び続ける子ども達を育てていくにはどうすればいいのか?
そのためには「当たり前」の質を上げることの大切さを日々語り続けることが必要。そしてその子の小さな成長に「その子らしさ」を刻んでいく。
それを日々続けていくしかない。
近道はない。



教師が満足した時点で子ども達の成長は止まる。
「当たり前」の質を上げていくことにゴールはない。



「君達ならもっと高めていける」



それをブレずに指し示していくこと。
それが教師の役割なのだろう。
子ども達の成長に蓋をしない。
それが「信じる」ということなのだ。