つまみ食い

「こうすればうまくいく」
「絶対に失敗しない〜」


このようなタイトルの本をよく見かける。
この世の中にあふれている「技術」「テクニック」「ノウハウ」…。
これらを全否定はしない。
しかし、これははっきりと言える。



「こうすればうまくいく」などは絶対にない。



優れた技術の裏には必ずそれらを生み出した方々の思いが隠れている。
どんなに時間をかけて技術を学んでも、
その隠れた思いに目を向けようとしなければただの技術にしかならない。
深まりは生まれない。



昔、自分もあらゆる「技術」「テクニック」を勉強した。
「こうすればうまくいく」
「この方法で子ども達を伸ばす」
「この語りで絶対にうまくいく」…。



確かに勉強にはなった。
何一つ武器をもっていなかった自分に武器がそろっていく感覚を覚えた。
多くの本に「この方法でうまくいく」と書いてある。
だからどの方法も実践してみた。
確かに子ども達の反応はいい。



いろいろな実践をつまみ食いする毎日。
そんな生活を続けるうちに、手に入れた技術で身動きがとれなくなっていた。
「あれもやりたい」「これも必要」 という思いに縛られていく自分。



つまみ食いする自分に教師の在り方を振り返る余裕はなかった。
うまくいかなければ違う次々に違う方法に切り替えた。
技術の裏に隠された思いに目を向けることなどなかった。



もちろん子ども達は育たなかった。
当然だ。
自分のゴールが
「子ども達を成長させること」から「子ども達をうまく動かすこと」
に下がっていたのだから。




そんな苦い経験を通して最近わかったこと。
それは技術の綱渡りをしていても自分は成長しないということ。
いろいろなことに手を出すことより、
一つのことで進み続けることの方が数百倍難しいということ。




子ども達を成長させる。
そのために教師に求められる力。
それは「削ぎ落とす」こと。



技術、テクニックを削ぎ落とし、本当に自分に必要なものだけを残す。
そしてその一点で己の教育を貫き通せるか?
だからこそ「シンプル」を求める。
一つのことをブレずに貫き、子ども達を成長させる教師でなければならない。



私が削ぎ落として唯一残ったもの。
それは「教師の在り方」
結局すべては己なのだ。
教師の在り方をさらに磨いていかねばならない。