「子ども達がいうことを聞かないんです・・・」

学級経営でよく聞く悩み。



「子ども達がなかなかいうことを聞かない。悪いことをする度に指導をするがまた同じことを繰り返す。どうしたらいいのか?」



私はこの状態から抜け出すためには
「子ども達にひたすら考えさせる」しかないと考えている。
では「子ども達に考えさせる」ためにはどうすればいいのか?
自分達が取るべき行動を子ども達自身に本気で考えさせる。
そのためには「ルールをシンプルにする」ことが重要だ。



「あれもだめ」
「これもだめ」
「ああしなさい」
「こうしなさい。」…。



指導していくうちにどんどん増えていくルール。
しかし、ルールを増やせば増やすほど、子ども達の考える力は落ちていく。
ルールにがんじがらめになった子ども達は身動きがとれなくなる。



身動きがとれなくなった子ども達が取れる手段は2つしかない。
1つ目は「考えることをやめ、言いなりになる」こと。
2つ目は「ルールを無視し、反抗的になる」こと…。



教師の権力が揺るぎないものであれば学級は無気力になっていく。
逆に教師の権力が揺らいでいると学級は荒廃していく。



子ども達に考える力をつけるためには?
子ども達をルールで縛りつけては考える力はつかない。
ルールは増やさない。できる限りシンプルにする。


私のクラスのルール。



それは「人に迷惑をかけない」ということ。



シンプルだから決してブレない。
このルールが守れているか確かめるためには、子ども達が自分の行動を本気で見つめ直す必要がある。
「人に迷惑をかけない」この一点突破だ。
「人」には教師も、クラスの友達も先輩も後輩も、家族も地域の方もすべて含まれる。
自分がする行動がこれらすべての人の目にどのように映るのか?
これを常に考え、行動を決定していくことが子ども達に求められる。
子ども達が取るべき行動をすべてルールで決定するなんて不可能。
子ども達が取るべき行動はその時の状況に応じて変わってくる。



クラスメイトがケンカをした。
休み時間にある子が仲裁に入り話し合いをしている。
しかし仲裁に入った子は休み時間に委員会でやるべき仕事があった。
その子は話し合いに夢中で委員会の仕事をすっぽかす。
仲裁に入った子は素晴らしい行動をしているのかもしれない。


しかし、「人に迷惑をかけない」という観点で見ていくと仲裁に入った子への教師の言葉かけが変わってくる。



「友達のトラブルを本気で解決しようとした君の思いは素晴らしいと思う。君のおかげでケンカした2人もいい顔に戻れた。先生は君の行動を頼もしく思う。」
「でもね。君は委員会の仕事を任されていたんじゃないかな?君がこないから同じチームの人が本気で君を探していたよ。仲裁に入ったことは認めるよ。でも人に迷惑をかけてはいけないのはわかっているよね?」
「委員会の仕事も大切。でも友達も大切。どちらも大切だね。じゃあ君はどうすべきだったかな?」



問いかけることによって子どもは見つめ直す。
そして本気で考える。



「委員会の仕事を誰かにお願いする。」
「委員会の人に事情を説明して日程をずらしてもらう。」
「ケンカの話し合いの時間を後に設定する。」
「仲裁を他の信頼できる人に任せる」…



様々な選択肢が浮かぶだろう。これがこの子の成長なのだ。


ルールをシンプルにする。
シンプルなほどブレない。
そしてシンプルだからこそどんな問題にも柔軟に適用していける。


しかし、誰にも迷惑がかからなければ何をしてもいいというわけではない。
もちろん「選択した行動をすることによって子ども達がなんらかの成長をする」という大前提がある。
「人に迷惑をかけない」「己の成長に繋がる」
不安な人はこの2つを子どもに示してもよい。2つでも十分シンプルだろう。



「先生!〜してもいいですか?」と聞かれたらいつもこう言う。
「人に迷惑をかけなければいんじゃない?君の成長に繋がるか?を常に意識するんだよ。」

結果的に迷惑な行為に繋がったなら、子ども達にその都度考えさせてあげればいいのだ。



「子ども達がなかなかいうことを聞かない。悪いことをする度に指導をするがまた同じことを繰り返す。」


きっとこれを解決するにはルールでがんじがらめにする教師の在り方をもう一度見直していく必要があるのだろう。