「子ども達がいつも同じ人としか関わろうとしないのです…」

「学び合い」でよく聞く悩み。


それは
「仲良しの人どうしがいつも一緒にいてあまり学び合っている感じがしないんです」「いろいろな人に意見を聞くんだよ。と言っても子ども達が動きません。」
という悩み。


「いつも決まった人としか学ばない」
その悩みの原因は簡単なこと。


「子ども達が多様な人と関わる意味を理解できていない」から。
我々教師の役割は
「なぜ多様な人と繋がることに意味があるのか」
ということを子ども達に納得させてあげること。


その意味を腹にストンと落としてあげること。
意味が納得できていなければ目的をもって動けるわけがない。
教師がいる時だけ顔色を伺って動き出す集団に価値はない。
子ども達に関わらず、相手を納得させるのはとても難しいこと。
力で押し付けずに腹にストンと落とすためにはどうする?
確かに難しいことだが我々教師はその道のプロでなければならない。


「そのうちできるでしょ。」
と子ども達自身に語りかけすらしない人は三流。
この人は「信じて任せる」という意味を勝手にねじまげ都合よく使っているだけ。
「信じる」からこそ語らなければならない。
「任せる」ために語らなければならない。



難しいことをただ難しく話す人は二流。
この人は「話す」ことがゴールになってしまっている。
「話す」から「伝える」にまでゴールを高めていかねばならない。


「なぜ仲良しな人だけで学び合いをしていてはいけないのだろうか?」
子ども達にそう聞かれたらどう答えればよいのか?


「仲良しの人とだとおしゃべりしちゃうからだよ。」


というレベルの答えでは子ども達を心から納得させることはできないだろう。


「なぜ仲良しな人だけと学び合っていてはだめなのか?」
私はこの答えに関するキーワードは2つあると考える。
それは「似ている」と「不安」というもの。


「仲良し」なのは気が合うから。
気が合うというのは価値観が似ているということ。
似た見方、考え方をもっているということ。
同じ目をもっているということ。


しかし、それは逆に言うと見えない所も似ているということ。
見逃す所も似ているということ。

自分自身を成長させるために必要なことは何か?
それはいろいろなものの見方や考え方と触れ合うこと。


「そういうやり方もあるのか」
「そういう考え方もあるのか」


数多くの価値観と触れ合うことが自分を高めていく。
休み時間は「似ている」人と思いっきり遊べばいい。
しかし、授業は違う。
「仲良し」を捨て、似ていない人と徹底的に関わっていくことの大切さを子ども達の胸に刻む。
その価値に気付かせられなければ子ども達の成長はない。

もう一つのキーワード。「不安」。
これについてはまた後ほど。