名画パズルのゴール
「図書室で本を5冊借りると、パズルのピースがもらえるんだって。」
「クラスで全員を借りると絵が完成するんだよ。」
そんな子ども達の会話。
休み時間、子ども達は図書室に走ります。
そして、数日後にはパズルのピースを手に入れ、ニコニコしながらそれをはめ込みます。
はじめは順調でした。
しかし、あと数人がのピースがなかなか埋まらない。
当然我がクラスの絵は完成しません。
数日後争いがおきました。
どうやら本を借りない子に、ピースを手に入れた子が何か言ったようです。
きつい言い方をしたのでしょう。言われた方は怒りでふくれています。
そこでクラス全員に語ることにしました。
「ねえ、みんな。この名画パズルって何のためにやってるのかな?」
「この活動のゴールってどこ?」
「パズルのピースを集めることがゴール?」
みんな首をふります。
「そうだよね。この取り組みのゴールってもっと高い所にあるんだよね。」
「この取り組みによってみんながさらに本を好きになったり、自分のお気に入りの本を見つけ出したりできたら素敵だよね。」
「そしてそれによってみんなが勇気や自信をもてたりして未来が広がっていく。そこまでのゴールを思い描けたらすごく素敵だよね。」
「でもみんなの最近の様子を見ているとそのゴールを見失っている気がするなぁ。この取り組みに対するみんなのゴールは『ピースをはめる』ことになっていない?」
「小学校6年生のみんなが絵本を5冊かりて本当にゴールに近づくの?君たちのゴールはそんなに低い所ではないよね?」
「借りていない人に強い言葉を言って怒らせてしまった人もいるね。その人のゴールは絵を完成させることになっていなかったかな?」
「もし高いゴールを思い描けているなら、借りていない人に対する言葉かけは変わってくるよ。『なんで借りないんだ!?』なんてことばじゃなくて『本ってこんなに素敵なものだよ。』って言葉にね。」
「ピースを手に入れた人はえらい、ピースを手に入れた人はえらくないなんて先生は思わない。大事なのはそのピースを手に入れることで君が何を手に入れたじゃない?」
「あの取り組みの本当のゴールを思い浮かべてごらん。ピースを手に入れた人もそうではない人もさ。」
「いい本と出会えるといいね。」
子ども達は真剣な顔で聞いていました。
何かトラブルがあった時、必ず全員に語りかけます。
それは当事者だけが悪いわけではないから。
言ったほうが悪い。言われた方も悪い。
そして、そんな会話がされる雰囲気をつくり出している周りも悪い。
誰も悪くない。でもみんな悪い。
そんな不思議な感覚です。
何かトラブルがあったら、当事者にも周りにも語りかけるチャンスです。
子ども達は(私だって)必ずゴールを見失います。
見失うというより知らず知らずのうちにゴールの質が下がってしまうのです。
親、教師、の役割はそのゴールをもう一度見せてあげること。
「あれ?そのゴールは違うんじゃない?」
「君はもっと高いゴールを見ていたんじゃなかったっけ?」
そのためには我々が一歩下がって広い視野で物事をとらえられなければなりません。
ピースを手に入れた人=えらい
ピースを手に入れた=サボっている
一見こんな風に見てしまいがちですがこの視点を捨て去ることができるか?
この見方を日々我々は磨いていかねばなりません。
難しいと感じるかもしれませんが、実際そんなに難しくありません。
「子どもに力がついているか?否か?」
そう考えればおのずと視点は定まります。
語った後、しばらく放置されていたように見えた名画パズル。
昨日ふと目をむけると、なんとすべてのピースがそろっていました。
子ども達みんなが考えた証かもしれません。
しかし、「認める」けれど「ほめ」ません。
パズルが完成したことは決してゴールではないから。
「できたね。でもゴールはここだ!いくぞ!!」
常にゴールを指し示し続けられる人でありたいです。