「どうして勉強するの?」と聞かれたら?

「ねえねえ君たちってどうして勉強するの?」
こんな風に子ども達に聞いたらなんて答えるでしょうか?



「……わかんない!!」
なんていう子
「成績をあげていい高校に入るため!」
なんていう子
「お母さんが勉強は大事だっていうから…」
なんていう子
中には「将来のため!」なんて模範解答も。
そこでひと突き!
「君の将来って?具体的に教えて」
「その将来に今の勉強はどう繋がるの?」
するととたんに「う〜ん」って考えこんだりして。


「君たちはどうして勉強するの?」
実はこの質問は子ども達の目的(ゴール)の高さを見抜く大切な質問なのです。

ゴールの高さって何でしょうか?
三人のレンガ積みという話。

[以下引用]

中世のとある町の建築現場で三人の男がレンガを積んでいた。

そこを通りかかった人が、男たちに「何をしているのか?」とたずねた。

一人めの男は「レンガを積んでいる」と答えた。

二人めの男は「食うために働いているのさ」と言った。

三番めの男は明るく顔を上げてこう答えた。

「後世に残る町の大聖堂を造っているんだ!」と。

このとき、三人の男たちにとって「目標」は共通である。

つまり、一日に何個のレンガを積むとか、
工期までに自分の担当箇所を仕上げるとか。

しかし、「目的」は三人ともばらばらである。

一人めの男は、目的を持っていない。

二人めの男は、生活費を稼ぐのが目的である。

三番めの男は、歴史の一部に自分が関わり、世の役に立つことが目的となっている。


[引用終わり]

三人の男達がやっている行動は誰もが同じ。

しかし、積んでいる男達の「ゴール」の高さは違うのだ。




一口に「ゴール」(目的)といってもいろいろな高さのゴールがある。

質が高いゴールもあれば、質が低いゴールもある。

これは「なぜ学ぶのか?」という問いの中でも同じ。



「なぜ勉強をするの?」
この問いに対する答え。


「……わからない!」
この子は無目的に学んでいる子。
ただただ毎日流されて生きている子です。
これではいくら学んでも流れていきます。
まずはゴールを共に探す所から始めなければなりません。



「成績をあげていい高校に入るため!」

この子は成績をあげること、いい高校に入ることがゴールになっている。
成績をあげることでどんな未来を切り拓きたいのか?
希望の高校に入って何を成し遂げたいのか?
そこまでゴールを引き上げていく必要があります。


「お母さんが勉強は大事だっていうから…」
この子のゴールは「お母さんに認められること」なのかもしれません。
しかし、子ども達は最終的には自立していかねばなりません。
この子には自分自身のゴールを意識させる必要があります。


「将来のため!」
と答えた子はさらに深く考えさせる必要があります。
将来自分がどうありたいのかという志(夢と志については前項)をしっかりと意識させる必要があります。
その志がはっきりと見えた時、今自分がどのように学ぶべきなのかが見えてくるのです。


学び合いがうまくいっているか否か?
真の学びに繋がっているかどうか?



それを見分けるのは実は簡単なことです。
クラスの誰に聞いても子ども達がゴールを意識できているかどうか?です。


「私のゴールはここ。そのゴールに辿り着くために、今の勉強はこんな風に役に立つ。だから勉強するんだ」


そんな風に誰もが答えられれば素晴らしいクラスなのだと思います。


「どうして勉強してるの?」
この質問は聞けば聞くほどクラスの様子が見えてきます。
そして、その時、教師が語るべきことが見えてきます。

誰もがゴールを意識している。
これは口でいうほど簡単なことではありません。
だからこそ語るのです。何度も何度も。


教師が語る意味を自覚した時、教師の言葉には魂がこもります。
語るためにはまず子ども達のことを知らなければならない。
常に教師の在り方が試されています。