『学び合い』と「学級崩壊」の違い

うちのクラスは良い学び?ルーズな学び?


『学び合い』では子ども達が自ら意志をもって動き出します。
教室を見ると、子ども達が立ち歩き、
一人一人がバラバラに学んでいます。(学んでいるように見えます)
この状態を、何もわからない人が見たら「学級崩壊」と見間違えるかもしれません。
しかし、当たり前のことですが
『学び合い』と「学級崩壊」はまったく別の状態です。



子ども達が「グループ」(群れ)の状態が「学級崩壊」
子ども達が「チーム」(団)の状態が『学び合い』なのです。



ではどのような視点で授業を見ればクラスの雰囲気が良いのか、崩れかけているのかを見分けることができるのでしょうか?


それは簡単です。
教師が話をしている時の子ども達の様子を見ればいいのです。


教師が話をする時、一瞬で子ども達の視線が教師に集まるか否か?
崩れかけているクラスは教師が「静かに」と言っても子ども達は静まりません。
例え力で静かにさせても、子ども達の視線は泳ぎます。


学び環境が出来ているクラスはそんなことはありません。
教師が「ストップ!」と言った瞬間に静かが創られます。
『学び合い』が究極の一斉授業と言われる所以はここにあります。


これは躾とか、そんなレベルの話ではありません。
「先生が口を開く時は必ず自分達の学びを高めるヒントがある」
そのように子ども達が感じているかどうかなのです。


子ども達にそれを感じさせるためには、
教師自身が自分の語りに「魂」を込めなければなりません。



「この言葉で必ず子ども達の学びを引き上げる!」
「子ども達に必ず自分の思いを伝える!」



そのような強い信念が必要なのです。
子ども達の成長に繋がらない話をべらべらしていては
子ども達が教師の言葉に耳を傾けなくなります。
教師自身が「子ども達を成長させる」というゴールを思い描かねばなりません。
そしてそれができた時、教師の語る姿は変わります。



目を伏せている。
何かをしながら話を聞いている。
目が泳いでいる。
ニヤニヤした表情をしている。



ゴールが意識できた教師はこのような子ども達と真剣に向き合い始めます。


目を伏せている子どもがいたら、語りを止めて、じっと見つめ必ず顔を上げさせる。
ニヤニヤしている子がいたらはっきりと言う。
「先生は今本気で話している。だから君も本気で聞いてほしい。」


「子ども達をさらに高めたい」
教師自身に流れるそのような思いを感じ取った時、
子ども達は本気で耳を傾けるのです。


子ども達が「主体的」に学ぶことと
子ども達が「自分勝手」に学ぶことは全然違う。


教師が一瞬で子ども達の視線を引きつけられるか。
そこに『学び合い』か「学級崩壊」かを見極めるヒントがあるのです。