厳しさの中の優しさ

子どもでも大人でも変わらない。
人は皆「人」を見て己の対応を決めている。


我々は無意識のうちに人を見て判断している。
「この人はどういう人なのか?」
「この人はどこまで許してくれるのか?」
「この人にとって許せないことはなんなのか?」


様々な場面でそれを感じ取り、知らず知らずのうちに自分の行動を決定している。
だからこそ難しいのだ。常に子ども達の前に立ち続ける教師という職業は。


子ども達の前に立ち続ける限り教師は決してぶれてはいけない。
ぶれずに子ども達の行くべき方向を指し示し続けることができるか?
たとえぶれてしまってもその責任を子ども達になすりつけず、前を向き続けることができるか?


ぶれてしまう自分と闘い続ける覚悟があるか?否か?
それが教師の「肚」を決める。
「教師」と言ったが、これは子ども達の前に立つ大人達は皆同じだろう。
我々大人は本気で子どもを成長させるという覚悟をもたねばならない。


自分のすべき行動が本当に正しいのか迷った時は常に自分に問いかける。


「今、この瞬間に自分がいなくなっても、子ども達が胸を張って生きていく力が身についているか? 」
と。
ゴールをしっかりもてば自分がすべきことは自ずと見えてくる。


叱られて涙を流させることを「かわいそう」ととるか。
叱らずになんの力もつけずに社会に放り出すことを「かわいそう」ととるか。
子ども達の真の幸せを願えば自分のすべき行動はぶれない。
それが「厳しく」「優しい」ということなのだ。


子ども達は我々大人をじっと見ている。
だからこそ目をそらしてはいけない。
真正面から向き合わなければならない。
共に成長する覚悟があれば子ども達に思いは必ず届く。