「感覚」を刻む

「感覚をつかませる」
これは教師の役割の中で最も大切なこと。
感覚さえ子ども達につかませることができれば、
子ども達は様々なことを自分自身で判断することができるようになる。



うちのクラスの子ども達は10分で400字原稿用紙1枚を涼しい顔で書く。
しかし、10分で400字を書くこと自体は別にすごいことでもなんでもない。
こんなことはこだわれば誰でもできるようになること。



大切なのは10分で400字を埋められる「能力」ではない。
10分で400字を埋められるという「感覚」だ。



「私は10分で400字を埋められる」
そう思っている子ども達は自分の学びを判断することができるようになる。
「10分で書いてみよう」と言われた時、全然書き進めることができなければ自分の力が最大限に発揮することができていないと感じられるようになる。
そしてそれを「自分らしくない」と感じることができる。



『学び合い』も同じ。
声の質が良く、よい学びができている時の教室の「感覚」をつかんでいれば強い。
「今の教室の雰囲気はどう思う?」
そう問うただけで自分の教室を包み込んでいる雰囲気を振り返ることができる。
今の自分が良い学びができていないことを「感覚」で悟ることができる。
しかし、「感覚」をつかめていなければ、教師がいくら問うた所で無駄。
子ども達の頭には「?」が浮かぶだけ。



教師として子ども達の心に「感覚」を刻み込まなければならない。
その感覚はよしあしを計る重要なものさしとなる。



子ども達の心に「感覚」を刻むためには?
子どもの小さな成長を見つけ、本気で喜べなければならない。
褒め、励まし、子ども達の自己肯定感を上げ、
「これがわたしのあるべき姿だ」と思わせなければならない。


そして、それに至らなかった時は
「本当の君の力はこんなもんじゃない。」と魂を込めて言えなければならない。
時には強く叱らねばならない時もある。



目の前の子ども達と向き合うことから逃げずに、
「あっちだ!」と指を指し続けられるか?
「感覚」が本当に自分のものとなった時、
子ども達は「自ら学び続ける子ども達」へと成長していく。