学び続ける授業へ〜「みんなができる」という言葉からの決別〜

17、「みんなができる」から「学び続けられる」へ

「みんな(全員)ができる」
「学び合い」の中で象徴的に使われる言葉です。
しかし、「みんなができるようになる」ことが我々のゴールでしょうか?
それは思います。
「みんなができるようになる」ことは通過点にしか過ぎません。
みんなができるようになることを通じて次に何を目指すのか?
それを指し示す力。それが我々は教師にとって必要な力なのです
では「みんなができる」の奥にあるゴール。
それが「みんなが学び続けられる」ということでしょう。

勉強が得意な子がストップをかけられずに学び続けられるか?
勉強が得意でない子もあきらめず、挑戦し続けられるか?
今、この瞬間に自分がいなくなったとしても子ども達は学び続けられるか?
今、この瞬間にクラスが解散しても、子ども達は新たな人間関係を築いて学び続けていけるか?

学び続けていける人こそが「自立」した人と言えるのでしょう。
確かに「みんなができる」という言葉は非常に有効です。
しかし、この言葉に頼り過ぎるとクラスは次第に疲弊していきます。

「みんなができる」というゴールに連戦連勝はありません。
どんな戦いにも勝つことを求められた子ども達。
疲れ果てた子ども達が取る手段。それはもちろん、
「ゴールの質を下げること」 です。

「みんなができる」というゴールが、「札をわかった所に動かす」「わかったふりをする」というゴールへと下がっていくのです。
そしてそれを教師が見抜けず、褒めた時、子どもの学びは崩れ始めます。

「みんなができる」

「学び合い」を始めるならば
この言葉からいつか離れていくという覚悟が必要なのです。
「学び合い」を成立させよう。
そう考えて時期は「みんなができる」という言葉掛けは非常には有効でした。
しかしそれを持続させていくのはとてもキツイものがあります。
そこで求めれるのが「みんなができる」から「学び続けられる」という持続モデルへ転換なのです。

18、まちがっていた考え方

本当に大切なのは「みんなができること」ではなく「学び続けられること」
それをもとに今までの自分の授業を見直してみることにしました。
私の授業を続けていくことで本当に「学び続けていける」人を成長させられることができるのでしょうか?
真っ先に頭に思い浮かんだのがK君の顔でした。
たくさんの子どもたちに囲まれ、一方的に教えられる。
わからないのは自分の能力が低いから。
そう感じ、つらくなり泣き出したK君。
彼は本当にこの体験によって前向きに学び続けられる人間へと成長できるのでしょうか?
答えはもちろん「NO」です。
確かに「一人も見捨てない」「全員ができる」というゴールは大切なことでしょう。
しかし、それを求めるあまり学び続ける意志まで削ぎ落としてはいないだろうか?
そんなことを考え始めたのです。

せっかく自分のスタイルが見え始めていたのに、私はまたドン底に落とされた感じがしました。「学び合い」では確かに主体性を育てることができる。
しかし、それと引き換えに苦しむ子どもを生み出しているのかもしれない。
そう思い始めたのです。
「全員」という言葉で縛らずとも、子どもたちが自ら学び続けられる授業。
そんな授業をどのようにつくっていけばいいのだろうか?
私はまた大きな壁にぶつかってしまいました。

19、なにが必要なの?

壁にぶつかった私はもう一度思考をさら地に戻して、考えることにしました。
「学び続けるために必要なものってなんなのだろう?」
「あったらいいもの」はたくさんあるでしょう。
しかし、そうではなく「なくてはだめなもの」に目を向けていかなければならない。
そう感じていました。

深く深く考えるうちに私が導きだしたキーワードは2つでした。
それは「目的」と「自己肯定感」です。

どんな時も足を止めることなく、前を向いて一歩を踏み出し続けられる人。
そんな魅力的な人が私の身の回りには何人もいました。
彼らに共通していること、それは彼らが皆「自分が目指す目的」というものをきちんと心に定めているということです。
「無目的」の人は当然ながら「やり過ごす」ことがゴールとなります。
誰かにお願いすればいい、誰かがやってくれるまでまつ。
そういう考え方が根底にある人は、必ず足が止まるものです。
「自分が目指すべき場所はここだ」
常に自分の目指す目的が思い描けている。
だからこそ一歩、また一歩と前進し続けられるのです。
「目的を定める」
これが学び続けていくためには必要不可欠なのです。

しかし、「目的」を定めただけで人は学び続けることはできません。
そのためにはもう一つのキーワードが必要となってきます。

「ここに辿り着きたい」
そんな「目的」を心に定めたとたん、グッと前進し始める人がいる一方で、「目的」を定めても尻込みしてなかなか一歩を踏み出せない人がいます。
両者の違いとは何か?それが「自己肯定感」なのです。


では「自己肯定感」とは一体なんでしょうか?
それは「自分を肯定できる感情」
つまり
「私には力がある」
「私はもっと伸びていける」という思いです。

挑戦には失敗がつきものです。
失敗してしまった時、自己肯定感が低い人の足は止まります。

「ああ。やっぱり自分はだめなやつだ」
「はずかしいな」
「どうせできないんだ」

しかし、一方で「自己肯定感」の高い人は歩みを止めません。
「次こそは成功できるようにがんばってみよう」
「もう一度やってみよう」
「きっとできるようになるはずだ」

「失敗」という出来事をどのように捉えるかで、歩みが変わってくるのです。
学び続けていける子どもたちを育てるためにはどうすればいいのか?
私が導きだした仮定は「目的」と「自己肯定感」を刻む。
ということでした。
目指すべき方向は見えました。
あとはそれをどのように授業に落とし込んでいくのかということです。

しかし、それは予想通り非常に難しいことでした。
そこで私は同僚のB先生と対話を重ねました。
B先生はもう何年間も「学び合い」と向き合い続けてきた方です。
私の言っていることをすっと理解してくださり、それを体現する授業をいかに創っていくかを共に考えてくださいました。