目的は何だ?〜「自立」から「学び続ける」へ〜

15、この授業の「目的」はなんだ?

「このままではいけない」
K君の事件は私にそんな思いを抱かせました。
私は何を目指してこの「学び合い」をしているのだろう?
この授業を通して私は子どもたちにどんな力を身につけさせたいと考えているのだろう?
そんな問いが頭の中にぐるぐるとうずまきました。

そんな時、校内研修の講演で出会った人。それが民間ファシリテーターの長尾彰さんでした。彼が私に教えてくれたこと。
それは「目的」と「目標」の違いです。

目的と目標の違いとは何か?
目的の「的」は(まと)と読みます。
「目的」とは自分が目指すべきただ一つの的(まと)の部分を指すのです。
では一方で「目標」とはなんでしょうか?
「目標」という言葉の「標」という言葉。
「みちしるべ」という言葉があることからもわかるように、これは「しるべ」と読みます。
目的地に辿り着くために、つくられるもの。
それが「道標(みちしるべ)」です。

的は向かうべきただ一つの場所。
それに向かっていくために無数にある目印。
それが「標」です。
つまり「目的」に辿り着くために設定されるものが「目標」なのです。

目的を考え始めたときに人はグッと成長する。
そんな話をお聞きして私は再度間が始めました。
私が「学び合い」をする「目的」ってなんなのだろう?

勉強ができるようになってほしい。
コミュニュケーション能力を高めたい。
仲良く助け合ってほしい…。

これらはすべて「目標」でしょう。
もっともっと奥にある「目的」。これは一体なんなのでしょうか?
そんなことを考え始めた私の脳裏にぱっと浮かんだ言葉。
それは「自立」という言葉でした。


16、「自立」って何?

「自立した人へと成長してほしい」
これが子どもたちを育てる目的かもしれない。
そう考え始めた私でした。
将来自分の足で立ち、自分一人で強く歩み続けていけること。
これこそが私の目指す人の姿です。
そんなことを思い始めたのは、A小学校に赴任して2年目のことでした。
その年、私はB先生の後を引き継いで校内研修を任されていました。
そこで私は学校の研究主題を「学び合い」ではなく「自立」という言葉を主題に据えることにしました。
私たちが育てたい子は「学び合いが上手な子」ではありません。
本当のゴールはその先にある「自立」なのです。
私の中でもやもやしたものが固まり始めたような気がしました。


「自立した人を育てる授業づくり」
自立ということを核に据えて資料を作成し、研修の時間に校内の先生方に提案をしたのです。
先生方はみな私の話をうなずきながら、懸命に聞いてくれました。
しかし、研修の中盤のフリートークの時間、ある先生の発した言葉によって私はまた深く考え込むことになります。
発言をした先生はO先生。
いつも明るく、子どもたちに慕われているすてきな先生です。
学校の仕事も、学級の仕事もバリバリこなす。私のあこがれのような人でした。
その方が何気なく話した言葉。
「自立かぁ。そう言われると自分は自立なんてしていないなぁ。僕は人に何でもたのんじゃうし、わからなければすぐに人に聞いちゃうからなぁ。」
笑いながら話すO先生。
この何気ない言葉は私に
「自立って何?」
ともう一度考え直すきっかけをくれたのです。

「自立」という言葉は確かにわかりやすい言葉です。
しかし、この言葉に込められた意味はとてつもなく深いことに気づき始めたのです。
「自立」した人を育てたい。
でも「自立した人」ってどんな人なんだろう?
どんなことも人に頼らず自分自身の力で突き進める人?
いや、そんな人この世にいるわけがない。
誰もが支え合って生きている。すべて自分の力で解決できる人なんて存在しないのかもしれない。
大切なのは自分自身の力ですべて出来るようになることではない。
O先生のようにわからない時に「教えて」と言えること。
困ったときに「助けて」と言えること。
大変な時に「お願い」と頼めること。
こういうことも立派な「自立」と呼べるのではないでしょうか?

そのように考えていくと「自立」という言葉の奥にあるものが見えてきたのです。
大切なのは「自立」すること。
しかし、それはすべて自分の力でやれるようになることではないのです。
どんなに壁にぶつかっても、可能性を模索しながら、前に進み続けること。
まさに「学び続けること」こそが「自立」なのではないか?
そんな風に感じ始めたのです。
自分の力で突き進んでもいい。
困った時は周りの人を頼ってもいい。
大切なのは「学び続ける」ということ。

胸の中にもやもやしていたものがスーッと消えていく感覚を覚えました。
「学び続けていける人」
これこそが私が「学び合い」を行う目的だと思ったのです。