「心」ってどう育てるの?〜二校目の苦悩〜

4、いかに教えるか?

「このままではいけない…」
ずっとそんな思いを抱いていた私はとうとう一歩踏み出すことにしました。
今までのようになんとなく授業を進めていても、授業が良くなっていくとは思えない。
…かといって誰かの授業を見に行く時間もない。じゃあどうしようか?
そこで私が頼ったのは「本」でした。
圧倒的に引き出しの量が足りない。
まずは引き出しの量を増やしていかなければならない。
そんな思いで本を読みあさる毎日。
すると自分の授業に足りなかったものが見えてきたのです。

授業の流れ・発問・指示の方法・リズム・板書・立ち位置・目線・システム…

先輩の先生方が子どもたちによりよく教えるための技術は私を夢中にさせました。
このような技術を一つ一つ知っていくことで、自分の教師としての幅が広がっていく感じがしたのです。
「授業ってこうやるのか!」
「子どもたちはこうやると伸びるのか!」
「俺は子どもたちをもっともっと伸ばせる!」
こんな思いが胸に湧き上がりました。
今までくすぶり続けてきたものが一気に燃え上がる。
「もっともっと学びたい!」
そんな気持ちが私をさらに学びへと駆り立てていったのです。

そんな時、市内に小中一貫校が新しく開校するという話が耳に入りました。
自分が受け持っている子どもたちが小学校においてどんなことを学んできたのか?
小中9年間を見通せる教員になりたい。
そんな思い抱いていた私はその学校への赴任を希望をしました。
周りの方々のご尽力でその異動希望は叶い、私は4年間お世話になった初任校を後にすることになったのです。


5、子どもは教師の手のひらにのせるもの?

新しく異動した学校はどこもかしこもピッカピカ。
新品の校舎は私の心をわくわくさせました。
小中一貫校ということもあり、小学校と中学校が同じ校舎でつながっています。
しかも、職員室は小中の先生が一緒なのです。
初年度は私は中学校一年生担任をしていたため、すぐ後ろが小学校6年生の先生方という環境でした。中学校教師でありながら、小学校の息づかいを感じられる。そんなすてきな職場でした。私はこの学校でたくさんのことを学ぶことになります。

前の学校である程度感触をつかんでいた私。
そのやり方は新しい学校でも通用するはずだ。
私はそんな風に考えていたのです。しかし、現実はそんなに甘くはありませんでした。
「自分が子どもを伸ばすんだ」
こんな思いはいつしか私の心の中に傲慢さを生み出していたのです。
「自分は子どもたちを伸ばせるんだ」
そんな思いに支配された私の心には知らず知らずのうちにある価値観が宿りはじめていました。その価値観とは、
「子どもは教師の手のひらにのせるもの」
というものです。
子どもたちは教師が手を差し伸べるから伸びることができる。
バラバラの集団を統率するのは教師なんだ。
統率するためには、常に子どもを手のひらに乗せておくべきなのだ。
そんな思いを抱くようになっていたのです。

しかし、ある日、私は気づいてしまいます。
「自分は子どもを伸ばすことができる」と思っていたはずなのに、目の前の子どもたちの心が全く育っていないということに。

「先生。次は何をやればいいんですか?」
何をやるにも受け身で「やれ」と言われたことしかやろうとしない。
常に指示を聞かないと動けない子どもたち。

「先生。◯○さんが泣いてます。」
教師がいない所で起きるトラブル。先生がいる所といない所で雰囲気が変わる。
しかもその解決をすべて教師に任せにする子どもたち。

「勉強なんてめんどくさい」
「やれ」と言われているからしかたなくやっているだけ。
勉強に対する後ろ向きな姿勢。最低限のことしかやろうとしない。
学びから逃避する子どもたち。

確かに授業を流すのはうまくなりました。
しかし、授業や日々の関わりの中で子どもたちの心を育てることは全然できていなかったのです。それに気づいた時、目の前が真っ暗になりました。
これ以上何を学べばいいんだろう?
どこにいったらそれを学ぶことができるのだろう?
私はまたぐるぐると考え始めたのです。