授業が成立しない 〜初任校での悩み〜

1、学校の先生になりたい

「大きくなったら学校の先生になりたいな」
漠然とそんな想いを抱き始めたのは中学校2年生の頃でした。その当時担任だったK先生は大学を卒業して2年目の国語の先生でした。いつも明るく、いろんなことを教えてくれる。常に自分たちに寄り添ってくれる「アニキ」のような存在でした。K先生は私をとてもかわいがってくれました。今思えば誰にでも優しく接していたのでしょう。しかし、私にはそれがとてもうれしく感じられたのです。昼休みはいつも友達と一緒にK先生のもとに。他愛のないおしゃべりをする時間がとても好きでした。K先生はイラストがとても上手でした。似顔絵を描いてもらいましたが、とてもブサイク。しかし特徴を押さえているのでそっくりなのです。
毎日のように「絵を描いて」とせびっていたのを思い出します。描いてもらったその絵は長い間私の机の中に大切にとってありました。
常に明るく、私たちを笑わせてくれたK先生。しかし、K先生は授業になると常に真剣でした。休み時間の時の笑顔はそのままに、国語の楽しさを語るのです。K先生と接するようになってからだったと思います。私の心に「国語の先生になりたい」いう思いがわき起こってきたのは。「学校」という場所を魅力的な場所へ変えてくれたのはK先生です。彼がいなかったら私は教職という道を志すことはなかったのではないか?そんな風に感じさせる出会いでした。

2、教師人生のはじまり

「いよいよ始まるぞ…」
青空の下、春風が頬をなでる。そんな穏やかな日だったことを覚えています。心臓の鼓動をかすかに感じながら車で校門を通り抜けました。校庭では部活動の真っ最中。たくさんの子どもたちが大きな声をあげながら練習に励んでいます。
「ガチャッ」
車のドアを開け、春の空気をめいいっぱい吸い込みます。
そこへ転がってきた野球のボール。そっと拾っておじぎする野球部員に投げ返します。
「ありがとうございます!」
一礼して走っていく後ろ姿を見て、さわやかな気持ちになりました。

平成15年の春。
私は中学校の教師として働き始めました。専門教科はもちろん国語。K先生と同じ教科です。初任校は町内でも歴史のある伝統校。山の斜面に校舎が建てられており、裏はすぐに山という自然豊かな学校でした。1学年3学級。どの子もおだやかで、素直ですてきな子ばかりでした。この赴任から4年の間、私はこの学校で教鞭をとることになります。

赴任初日。前触れもなく突如大きな山が私の前に表れました。
校長先生に告げられました。
「古田先生。先生には1年生の副担任をしてもらいます。だから1年生の国語を担当してください。今年から2年生と3年生の国語の授業はクラスを半分に分けて少人数で授業を進めていくことになりました。…ということで、2年生と3年生の授業もお願いしますね。」
なんと、教員になりたての自分が3学年すべての国語を担当することになったのです。
「はい!がんばります!」
私は元気よく答えました。
授業がもてる。とうとう憧れだった先生になれたのだ!
その喜びだけが胸をうずまいていました。

3、授業ってどうやるの?
「う〜ん…」
時計の針は12時を回っています。
目の前に広げられているのは国語の教科書と白紙のノート。
明日の授業。何をどのように進めればいいのか?
考えていくうちに時間は刻々と過ぎていきます。
「とりあえず音読するでしょ?そのあとは意味を調べて…。う〜ん。この時間はどんなことをめあてにすればいいんだろう…?」
頼りになるのは今まで自分が受けてきた授業だけ。
しかし、その記憶さえあいまいなのです。
「うわ〜。もうこんな時間だ。でもまだ1年生の授業の分しか準備できてないよ。明日は2年生も3年生も授業があるのに…。」
どんなに考えても経験不足は補えません。結局準備不足のまま授業に臨むことになります。
もちろん授業はうまくいきません。
「授業ってどうやるの?全然わからないよ…。」
そんな問いを抱えながら毎日がむしゃらに突き進む毎日でした。
その当時の私が追い求めていたもの。それは
「いかに授業を成立させるか?」
ということだったのです。
当時の私にとって50分という授業時間は長すぎる時間でした。
この50分という時間をいかにして流すか?
何をしてやり過ごすか?
恥ずかしながら、そんなことを常に考えていたのです。
しかし、そんな私の授業にも子どもたちは懸命に向き合います。
おもいつき程度の発問。しかし子どもたちはそんな発問の答えを必死に探るのです。
子どもたちに対する罪悪感が積み重なっていく毎日でした。