(7)「書く」ことの利点

数年前のことです。ある講演会に参加させていただく機会がありました。
その方は「書くことの価値」を様々なデータをもとに話されていました。
その時具体例として述べていたのが以下の話です。
子ども達の聴く姿勢を鍛えるには「書かせる」といいですよ。
例えば、全校朝会での校長先生の話。
これを教室に帰ってから書かせるんですよ。
すると、朝会で校長先生の話を聴く子どもたちの態度が変わるんです。
そして、不思議なことに教えてもいないのに、話し方が変わってくるんです。
たとえば、「僕の言いたいことは3つあります。はじめに〜・・・」などという話し方が自然に身についてきたんですって。
でもね。子どもたちに書かせても、みんながうまく書けない時があるんですって。
それはね、「校長先生の話し方がわかりにくかった時」なんです(笑)
うまく伝わらなかった時は校長先生の話し方にも問題があるみたいですよ。
子どもたちが書いたものをもとに校長先生と交流してみるのも素敵かもしれませんね。
講演でこの話を聞いた時、頭の中で様々なことが繋がったのを感じました。
その当時の私は「書くこと」が子どもたちの学びを高めていくということを実感し始めていました。
しかし、なぜ書くことが子どもたちを飛躍的に伸ばしていくのかをうまくまとめられずにいたのです。この講演は私にその価値を考えさせるきっかけをくれたのです。
〈授業に「書く」という活動を位置づけることの利点〉
?目標が明確になる
授業の最後に今日学び取ったことをまとめる時間が設定されている。
これは一見とてもつらいことのように思えます。しかし、子どもたちの声を聞くと、意外なことに「最後に書くという目標があることで見通しをもって学ぶことができるからいい」という肯定的な意見が多く聞かれます。
授業の最後に今日学び取ったことをのまとめを行う時間が位置づけられている。
これによって子どもたちはいつも混乱することなく同じリズムで学ぶことができます。
「今日はどんな風に授業が進むのだろう?」
というように教師の腹を探ることなく子どもたちが学びを進めていけるのです。
この学びを行うにつれて、予習を行う子が増えてくるのもその証です。やることがしっかりとわかっている。だからこそ自分で学習に対する準備ができるのです。
教師がいなくても常に目標が指し示されている。これによって子どもたちは全力でその目標に向かうことができるのです。
?子どもたちに「聴く姿勢」が身についていく
冒頭に述べた講演では子どもたちが校長先生の話を聴く姿勢が変わりました。
「書く」という明確な目標があるので、「聴く」のです。
わざわざ書かせなくても主体性もって話を聴けるようにすることこそ大切なことだ…
という方いるかもしれません。確かにその通りです。
しかし、主体性ある人は基本的に自分で「目的」「目標」を設定するのがうまい人です。
しかし、子どもたちがはじめからそれらを心にもって話を聞くことは難しいものです。
だからこそ「書く」という明確な目標を子どもたちに提示するのです。
その目標に向かうためには「聴く」という行為が大切になってきます。
「ちゃんと聴け!」ではなく、「書くためには聴くことが大事」というように聴くことが「手段」となっていくのです。
?聴いたことが自然とれインプットされていく。
冒頭に述べた講演では、子どもたちが自然に校長先生の論の運び方をまねし始めていました。
そうです。まさに「学ぶ」=「真似ぶ」ですね。
我々は脳で思考することで学ぶ(インプット)ことよりも自ら行動する(アウトプット)することで成長することの方が大きいのです。
いくらサッカーの本を読んでも、実際に練習しなければ上手くならないのと同じ。
何度も何度も繰り返していくうちに、それを自然につかいこなせるようになっていくわけです。
本気で「聴く」経験が様々なものを子どもたちに吸収させていきます。
話すスピード。表情。論の運び方。自分の考えへの繋げ方…
書くことで、相手の話を頭の中で何度も何度も反芻します。その繰り返しが自然に子どもたちの力を高めていくのです。
?教師・子どもたちが、今日の学びを自己評価できる。
冒頭の講演では子どもたちが書けなくなる時は「校長先生の話し方に問題がある」と言っていました。
ここからわかること。それは書くことが言葉という消えてしまうものを評価できる手段となるということです。
言葉というものは消えてしまうものなんです。話し手がうまく話せたか、言いたいことが伝わっているかを評価することは難しいものです。一生懸命話したから「伝わっているはずだ。しかし、実際は相手にはさっぱり伝わっていなかった。そんな話は山ほどありますよね。私もそんな苦い経験がたくさんあります。
その「伝えたつもり」を厳しく評価してくれるのが、子どもたちです。
子どもたちの書いたものをみれば、教師の授業に足りない部分が浮かび上がってきます。
子どもたちの生の声を通して、教師が自己評価を繰り返していく。
これが良い授業へとつながっていくのです。
また、続けていくうちに子どもたち自身も自己評価をすることが可能となってきます。
毎日書いているので、子どもたち自身が「差」を感じ取れるようになるのです。
「差」というのは2パターンあります。
1つ目は「成長」です。
「あれ?昨日よりすらすら書けるぞ!?」
とか
「あれ?前よりたくさん書けたぞ!!?」
など。自分の成長を感じることができるのです。
2つ目は「停滞」です。
これは先ほどと逆のことです。
「あれ?なんか書くのにつまってしまうぞ・・・?」
とか
「全然リズムにのれないなぁ・・・。」
など。自分の学びがつまづいていたことに気がつくことができるのです。
うまくいったとしても、うまくいかなかったとしても、それには必ず原因があります。
形に残っていくからこそ、その原因を見つめることができるのです。
?学びの証拠が残せる
「書く」という行為は形に残ります。それが自分が学んだということの何よりの証拠となるのです。
話し合いの言葉は消えてしまうからこそ形に表していくことが大切なのです。
協同学習を展開している人が共通してもつ悩み。
それは「子どもたちって伸びているの?」ということです。
話し合いを眺めているだけでは子どもたちの思考がどのように移り変わり、どのように成長しているのか看取ることは難しいのです。
しかし、「書く」という行為によって、目に見える証拠が残ります。
これによって見えにくくなった部分を補うことができるのです。
そのまとめをみて「学びが浅い」と感じれば次の時間に再度問い直すことも可能となります。
クラス全体の意見が割れていると感じたらそれを子どもたちに提示し、再度学び合う時間を設定することもできるのです。
?学びが降り積もる
「書く」という行為を毎日繰り返していきます。
すると、その学びが証拠として降り積もっていくんです。
私のクラスではそれを教科ごとにファイルしまとめています。学期末にはそれをすべてひもでくくり、持ち帰ります。どの子もずっしりとした重みに自分の成長を感じることができるのです。一枚一枚が彼らの一時間の学び。積み重なったその学びを感じ取ることはの子どもたちのモチベーションの向上にも繋がるのです。
そして、もちろん「差」感じ取れます。
「4月はこれしか書けなかったのに、今ではこんなに書けるようになったなぁ。」
「見比べてみると、最近構成を意識して書けるようになってきたなぁ。」
という感じに。
「成長」という目には見えにくいものを可視化することで、子どもたちはさらに伸びていくのです。
また、そのまとめは保護者の方々に学びの進歩を説明する貴重な材料にもなります。
個人面談の時に、
「その子の伸び」と「これから伸ばしたいところ」を実際に目にしながら話ができます。毎時間書き続けていくことで成長が可視化されているからとても伝えやすいのです。
前回、インプットとアウトプットをつなげていくために、授業において「学び合う」だけではなく必ず「書く」時間を設定することが大切だということを述べました。
この試みを始めた当初、私は「子どもたちの思考停止の時間を減らすため」に「書く」という活動を位置づけることが大切だという程度の考えしかありませんでした。
しかし、授業において「書く」ことを位置づけたことによって、子どもたちは予想を超える成長を見せてくれました。
それは上にまとめたように「書く」という行為が様々な部分で成長を支えていくからなのです。