価値は生み出すもの

必要ないと感じたことはやらない。
ずっとそれを貫いてきた。
しかし、最近はその考え方が変わってきた。


「本当に必要なことをやるために、必要のない(と思われる)こともしっかりやる」
のだと。


「必要」「不必要」という線引きをするのではなく、それらをつなげていくことで様々なことが見えてきた。
不思議なことに、そのような視点に立てるようになると「不必要」なものの中にも「価値」が見い出せるようになってくる。


「不必要」だからやらない。
ではなく「不必要」と感じていたものから「価値を生み出す」ことができるようになる。



「本当に大切なのは単元末のテストではない」
「毎日宿題を教師が準備するなんて無駄」

そんな風に感じていた時期があった。
しかし、自分が「不必要」と切り捨てていたものの中に大切なものがあることに気づく。


これを私に教えてくれたのは共に学ぶ2人の仲間だ。
確かに単元末のテストがいかに高得点であろうと、学ぶ力がついているとは言い難い。
教師から一方的に出される受け身の宿題では学ぶ価値は薄いだろう。
しかし、共に学ぶ2人の仲間は「不必要だからやらない」ということはしなかった。


「不必要」ならば「必要のあるもの」へ変えればいい。
彼らとの会話の中でそんな覚悟を感じる。


テストの価値を教えてくれたのは坂内さん。
「テストは大切だよ。テストは一回やって終わりでは意味がない。テストの問題を何度も何度も形を変えて挑戦させることが大切なんだ。」


彼のクラスのテストの答案は真っ赤になる。
「まちがったものを直す」
「なぜそうなるのかの説明を書く」
「教師が出した類似問題を解く」
「なぜそうなるかの説明を書く」…。
テストの価値を骨の髄まで吸い尽くす。

まちがったら学び直せばいい。
そういう彼の哲学がテストを通して伝わってくる。


宿題の大切さを教えてくれたのは高橋さんだ。
彼は毎日手作りの宿題を子どもたちに出す。
しかし、すごいのはその宿題が受け身のものとして終わらないこと。
最終的に自主学習へとつながっていくように綿密に仕組まれているのだ。


「やりなさい」
という受け身的なもののはずなのに、それがいつのまに自分の中へと積み重なっていき、自分の力となる。
その流れが確固たるものとして彼の中にある。

「毎日宿題をつくることは大変じゃないの?」 私は聞いた。
しかし、彼は答える。
「宿題をつくるのは教材研究と同じだよ。子どもたちが何につまずいているのか?何をやらせたいのか?それを考える時間を毎日もつのは担任として当然のことだと思うんだ。」


彼らは私が「不必要」となあなあにしていた所に価値を見出している。
そしてそれを強みにしているのだ。
その「覚悟」をもって進む姿勢に彼らのクラスの子どもたちはついていくのだろう。


「テスト」「宿題」
これらは実は大切なパーツなのではないか。
最近そんなことを感じる。
なぜならば、保護者が学校の様子を垣間見ることができる唯一のものだから。


確かに「テスト」も「宿題」も枝葉でしかない。
しかし、その部分を大切にしていくからこそ、日々の授業にも安心感を抱いてもらえるのだろう。


そんなことを気づけた今日この頃。
今年度は本当にたくさんの学びを得ることができる年だ。
今まで点としてしか見えていなかったものが線へとつながることが多い。
今年度得たことはこれから自分の教師生活を支える基盤になる。
そんなことを感じている。