「かしこさ」

「なんのためにやるのか?」
このゴール地点を常に指し続けること。
それが教師の仕事の中でも最も大切なことだと感じる。


「学校とはかしこくなるために来る場所だ」
「先生はあなたたちをかしこくするために存在する」

これは4月から伝え続けてきた言葉。
これを本気で伝えられるようになってから様々なことが繋がってきたように思える。


「かしこい」 という意味は奥深いものだ。
「かしこい」と「頭がいい」は違う。
「かしこい」と「ずるがしこい」というものも違う。

「かしこい人」は自分以外のものへも想いをよせる。
自分自身も大切にしながら、周りも大切にしていく。

このように考えていくと「かしこい」という言葉は自分自身にはりついている視点を広げていく力があるように感じる。


自分を中心にして「視点」を大きく広げていく。
これが「大人になる」ということ。


どんな子もはじめは自分を中心にしてしか物事を捉えることができない。
もちろん自分自身もそうだった。
「僕はやりたい」「私はやりたくない」
このように常に自分の感情に左右されて、「できる・できない」、「やる・やらない」を決めていく。
これが自分の視点のみで物事をとらえるということ。
自分の視点からしか物事を切り取ることができない状態。


「大人」になるということ。
それは自分にはりついている視点を大きく、広くしていくこと。
自分の感情に振り回されることなく、「自分以外」の視点に立って歩めるということ。


「自分のために」→「家族のために」→「友達のために」→「クラスのために」→「学年のために」→「学校のために」→「地域のために」→「国のために」→「地球のために」→…
視点は果てしなく広がっていき、最終的には「幸せ」というような形のない物へと視点が広がっていき最終的に自分へと戻ってくる。

「学校はかしこくなる場所」
子どもたちにそう伝え続けている。
自分の中にはりついている視点(物の見方)を外へ外へ広げていけるように。
自分だけで閉じることなく、広く大きく物事を見られるように。

ゴールは「力をつけること」ではない。
つけた力を「どう生かしていくか」だ。

その感覚を常に感じていられるように「かしこさ」という言葉を常に指し示している。