「つながり」は経済格差を超えられるのか?

昨日は教育人間塾でした。
今回は
「学校教育は家庭教育とどう接続するのか?」
というテーマでお話をきかせていただきました。
非常に興味深いテーマです。



今回の発表の中で最も思考を揺さぶった言葉。
それは
「つながりは経済格差を超えられるのか?」
という問いです。



経済的に余裕がある家庭は子どもたちの活動の幅が広がります
ゆえに様々な分野でのつながりを広くもつことができます。
しかし、逆に経済的に余裕がない家庭はどうしても活動の幅が狭まります。そうなるとつながりを広くもつことは難しい。


それならば、すべての子どもに対して出自に関係無く高い水準のサービスを等しく保証することで、経済的に余裕がなくても、広いつながりを生み出すことができるのではないか?
このつながりは経済格差をも乗り越える強さをもつのではないか?


そのような問いです。


「つながりは経済格差を超えられるのか?」


私が思うにこの答えは
Yesでもあり、Noでもあるような気がします。



なぜなら、その「つながり」というものの質が大切だと思うからです。


「つながりを保証すれば子どもたちを救えるはずだ」
私自身、そう考えて猛進してきた時期がありました。


私が「学び合い」を始めたのもそんなきっかけでした。
そんな日々の中で気づいたこと。それは


「信頼によるつながり」と「馴れ合いによるつながり」は違う
ということです。


どんなに人とつながる機会が保証されたとしても、子どもたち自身が「どのようなつながりが自分を高めていくつながりなのか?」ということが理解できていなければ、その効力は半減するでしょう。
裏を返せば、「質の高いつながりとは何か?」を語ることができる大人の存在が必要不可欠なのです。


確かに、出自に関係なく人とつながり合える環境が整えばすてきです。
しかし、システムだけを整えても、必ず壁にぶつかるでしょう。
結局そのシステムを支える人たちがどのような理念をもってそれに取り組むかにかかっているのです。


そのように考えていくと、
「質の高いつながりは経済格差を超えられる」
という答えにたどり着くような気がします。


「システムの構築」

「人々の理念の共有」
は同時進行で行っていかねばならないように感じます。


「システム至上主義」にも陥らず、
「理念至上主義」にも陥らない。

それが大切なような気がします。


ここで生じる疑問。
それは
「今の学校教育現場に『質の良い』つながりを学ぶ場があるか?」
ということです。

仲良くしましょう。
あいさつしましょう。

という単なる「つながり」のレベルではなく、もっと深いもの。
それが教育現場に深く根ざされた時、何かが変わり始めるのでしょう。


「やらなければならないこと」に埋没し、
「やるべきこと」がないがしろにされてはいないか?


改めて問う時間となりました。
いろいろと考えるきっかけをいただきました。
ありがとうございました。