せんせいのおしごと

学級をまとめていくために必要なことって何?
昔はそんな疑問を常に抱えていました。
教育技術やテクニックをがむしゃらに追い求めていたのも、そんな疑問を抱えていたからです。



「こんなことをすれば学級はまとまる?」
「こんなことを話せば学級は崩れない?」
数々の方法をためしてきたが、やがて気づき始めます。



「んっ?実はもっともっとシンプルなんじゃない?」と。




それに気づいたのは今のクラスの子どもたちとの会話からです。
今のクラスの子どもたち(1年生)に聞きました。
「せんせいのしごとってなんだかわかる?」



子どもたちは答えます。
「ぼくたちをかしこくすること。」
「わたしたちのいのちをまもること。」



不思議なことは全然ありません。
だって、いつも自分が子どもたちに言い続けていることですから。
「先生の仕事は、あなたたちをかしこくすることだ。」と。
先日の避難訓練の時にはこんなことも話しました。



「先生の仕事はかしこくすること。」
「でも実はそれ以上に大切な仕事があるんだよ。」
「それはみんあの命を守ることだよ。」
「命がなかったらかしこくなんかなれない。命があるからかしこくなれるんだ。」



子どもたちはその時の語りもきちんと覚えているのです。
「先生はなんのためにここにいる?」
そんな質問に子どもたちは答えます。



「かしこくするため」
「いのちをまもるため」



1年生であっても、本気で語ると通じます。
この想いが共有できていることは自分のクラスの強みだなと感じます。



こういうと必ず考えなければいけない議論。
それは「かしこさ」って何?
ということです。
教師のいうことをきくことが「かしこさ」なの?
「学校」というわくのなかのルールをしっかりと覚え、そこに適応することが「かしこさ」なのか?
「かしこさ」という名のもとに、教師の思い通りに動かそうとしているだけではないか?
そんな疑問が浮かび上がってくるのです。
1年生という純粋無垢な存在と関わりあえばあうほど、その疑問は重くのしかかります。
今年一年抱え込んだ命題も実はそこ。
自分がいう「かしこさ」は本当に「かしこさ」なの?なんて。



でもどんなに迷っていても
「絶対かしこくする!それがおれの仕事だ!」
と言える強さが教師には大切なんだろうなと思うのです。



少しまちがっていてもいてもいい、力が足りなくてもいい。
それでもなお、その時のベストを目指して教師が走り続けていく。
その姿に子どもたちはついていくんだと思うのです。



矛盾を抱えながらも「絶対かしこくする!」「きみたちをかしこくしたい!」と言えること。
そして、その想いを子どもたちも共有してくれていること。
学級を支えているのは実はそんなシンプルなことなのじゃないでしょうか?



「先生の仕事は何だとおもう?」
こんな問いをした時に子どもたちが何を答えるか?
それで想いが共有してくれているかがわかる。
そんな気がします。



坂内さんがよく言葉にする「契約」という言葉もこれに近いんじゃないかな?思う。

http://d.hatena.ne.jp/tontan2/20120313
http://d.hatena.ne.jp/tontan2/20120314/p1



「ぜったい伸ばす、だからついてこい!」
という教師の想いに
「この先生は自分を何か伸ばしてくれそうだ。」
と信じてついていく子どもたち。



この心の契約を結べているか否か?
それだけなんじゃないかな?



シンプルだけど、めちゃくちゃ奥深い。
いや、シンプルがゆえに難しい。


若いとか、ベテランとかそんなことは全然関係ない。
最後に残るのは結局「教師の在り方」なんだと、つくづく思う。
そんなことを考える。