不便=幸福?

「心は光の速度で変わる」
そんなことをずっと感じていました。
さっきまであんなに幸せだったのに、なぜかその気持ちが消え、一気に沈む。
そんなことがよくあるものです。



こんな風にころころと変わる心をどのように乗りこなしていけばいいのかな?
そんなことをずっと考えていましたが、その答えが少しずつ見えてきたような気がします。娘といった図書館で偶然見つけた本がきっかけです。



その本は小池龍之介さんの
「3.11後の世界の心の守り方」という本。





彼の本は以前から何冊か読んでいました。
彼のやわらかい語り口と、斬新な切り口が好きなんですよね。
彼はお坊さんです。
お坊さんと聞くと、堅苦しいイメージをもちがちですが、彼の考え方は非常におもしろい。
今まで伝承されてきたものと、昨今の現状を融合させて物事を語ります。
それだけに「あぁ〜。なるほどね」と納得させられる部分がたくさんあるのです。
彼はこの本の中で、インターネットやフェイスブックツイッターなどを例にあげて「情報化社会」の中でいかに豊かさを獲得していくか?を語ります。
お坊さんらしくないこういう切り口が好きなんですよね。



彼は述べます。
私たちは「幸せ=快感」と考えがちである。と。
自分の欲しかったものが手に入ると、快感を感じる。
一瞬感じた快感もつかの間。それに対する新鮮味は薄れ、また新たな快感を探し始める。



「快感を感じる→新鮮味を失う→新たな快感を探し求める」
というサイクルをどんどん繰り返していく。
どこまでいっても、何を手に入れても心はやすまらない。
彼は「快感が過剰になるとかえって欠乏感が増す」と述べています。




これは非常に納得できます。
冒頭の
「さっきまであんなに幸せだったのに、その気持ちが消え、一気に沈む」
というのと同じです。
これは私たちが「幸せ」=「快感」
と錯覚していたことによるものだったのです。
「快感」は薄れた瞬間に「不快感」に変わります。
なるほど、一瞬で気持ちが沈むはずです。




便利なもの=幸せ
快感を感じるもの=幸せ



という方程式は実は錯覚なのです。
便利になればなるほど、便利になったことへの感謝は薄れます。
そして、少しでも不便を感じると一気に気持ちが沈むのです。



快感も同じ。
快感を感じられるものが多ければ多いほど、平凡な時間が苦しく感じられるものです。



小池さんはこれを「不感症」と述べています。
快感づけになっているから、それが当たり前になり、それを感じられなくなってしまうのです。




「えっ?こんなに不便そうなのに幸福度が高いの?」
幸福度が高い国の様子を見ていて思うことがあります。
それはまさに私が
「便利」「快感」=「幸せ」という方程式にはまりこんでいた証なのでしょう。



今、自分をむしばんでいたもの。それは小池さんのいう
「満たされすぎることの不幸」
だったのです。
「幸せ」と「不幸」の裏返しの不思議な感覚はこれだったんだなぁ。



これは自分の中で大きな思考の転換となりました。
2つのことを学んだのです。



?どんなものも手に入れても、得られる幸福は一瞬でしかない。
?不便、不快感を感じることで、幸福がいっそう感じられる。

ということ。




便利さや快感を不用意に追い求めない生活をつくっていこう!
そんなことを考えはじめました。
この本を読んでから自分がし始めたこと。
それは
「快感、便利という麻薬から抜け出す」
ということです。



てっとりばやく、お試しにアイフォンという便利さを手放しました。
捨てることはできないので、インターネットアクセスをロック!
嫁さんにパスワード設定してもらって、自分ではアイフォンをひらけないようにしました(笑)
開きたい時は嫁さんにパスワードをおしてもらうのです。(誰の電話だ!?)
電話もアラームセットも「siri」できますし、基本的な操作はできるのであまり困ることはありません。
これで「意味もなく情報にアクセスする」ということは防げます。
こんな生活を続けてみると、今まで見逃してきたものに対するきづきがたくさんありました。



たくさんあるそのきづきは次の機会に書こうと思います。