責任をもって失敗をすること

あることがきっかけで、ふと自分の教員人生を振り返る機会をいただく。
20代の頃を振り返ると、おもしろい。


自分がどういう価値観を抱いて突き進んできたのか?
どこでその価値観が不完全だったことに気づかされる出会いをしたのか?
そして、どのように現在に繋がってきたのか?
に気づかされる。



思い返すと、20代の頃の自分はテクニックばかり追い求めていた。
方法論でしか物事を見ていなかった。



いかにそつなく、ながすか?
いかにうまくとりつくろうか?


そんなことしか考えていなかったように思える。
あの時の自分を決して否定はしない。
あの頃はあの頃の自分なりに上を目指してもがいていた。
あの頃の自分がいたから、今の自分がいるのだ。




そんなことを考えていてふと気づいたこと。
それは


あの頃の自分は
「失敗を避けるために学んでいたのだ」


ということ。



失敗をするのがひたすら怖かった。
常にテクニックを使って自分を守っていないと、非難の的にさらされるのではないか恐れていた。
それはそうだ。
失敗は誰でも怖い。
そのリスクをなるべく避けようとするのは自然な行為だもの。



だからテクニックに走った。
目的は「失敗しないこと」。
だから、子どもたちをどう育てたいか?なんて頭のすみにおいやられていたのだ。




そんなことを考えると、今は少し価値観が変わってきたことに気づく。
今の自分は「失敗しないこと」を目的にはしていないもの。
どちらかというと、
「責任をもって失敗すること」
が大事だと感じ始めているところだ。



テクニックに頼ることは楽だ。
誰かの解答を丸写しにすれば、ある程度の点数はとれる。
しかも、その解答が間違っていたときに、逃げ道がある。
「あのやり方が悪かったんだ。」
「あれはオレには合わなかったんだ。」と。




成功したのは人のアイディアのおかげ。
失敗したら人のせい。
成功したって失敗したって結局自分の力にはならないんだ。



人が力をつける時はどんな時か?
それは、自分の頭で考え、自分の頭で選択し、自分の選択した結果を見た時だけなんだ。
そんなことを考えるようになってから、
人に「それはやめなよ」と言われても躊躇しなくなった。
どんなに周りが「それはちょっと・・・。」と思っても、やってみようと思えるようになった。



自分の感覚が正しくて、このやり方は成功するかもしれない。
でももしかしたら失敗するかもしれない。
どちらの結果にしてもこの経験が自分を大きく成功させる。
そう思えるようになった。



「失敗しない」ということを人が目的に据えた時、
この世界は小さく小さくなっていく。
坂内さんがいう学校のファミレス化とも繋がってくる。
個性を削ぎ落とし、万人受けするスタイルにしていく。
とんがりをまるくまるくしていく。
確かにリスクは減っていく。
でも、そこで得られるものってなんだろう?



「失敗したくない!」
という想いから
「責任をもって失敗しよう」
という想いへ。



この考え方の転換が自分を大きく変えたのだなぁ。
と過去を振り返って思う。



年齢が上がると失敗も少なくなるんだろうな?
20代のころはこんな風に考えていた。



でも、それは違うことに気づく。
年齢が上がっても失敗はする。
でも、失敗を失敗と捉えることが減っていくんだ。
失敗が成功へと繋がるような考え方ができるようになっていくだけなんだ。と。



自分の身から「失敗」がなくなることはない。
生きているから「失敗」するのだ。


「よし!今年も責任をもってがんがん失敗していこう!」
そんなことを考えた一年の始まりでした。