みんなに通じるものを
自分が
「みんなに通じること」
を追い求めていることに気づいた。
みんなに通じるものは何か?
「みんな」とはもちろん「みんな」。
こどもだって大人だって。
「furu-tの話って始め難しくてなんだかわからなかったんだよね。でも今ではそれがわかるようになってきたけどね。」
去年担任をした子どもに言われた。
子どもに語ること。
それは、大人になってからもその言葉、価値観を大切にしていけるか?
という線引きで決めている。
学生という身分の間だけで通用するものではなく、人として生きている限り通用するものを語りたいと考えている。
きちんと座りなさい。
ではなく、
学校とは何をする所かを語る。
仲良くしなさい。
ではなく、
人が集まればケンカするのは当然。大切なのはその後。それを解決する力こそが大切と語る。
勉強をしなさい。
ではなく、
どうすれば、苦しまずに学び続けられるか?を語る。
大人になっても、語ったその価値観が生き続ける。
そんなものを語りたい。
自分が担任として関われるのは1、2年しかない。
こども達にはその後、長い長い人生が続く。
自分がいなくなっても、なお大切にし続けていける言葉。
そんなものを刻みたい。
常にそう考えている。
最近嬉しいことを聞いた。
ある子が苦しいことがあった時
「泥じゃなくて星をみる。」と語っていたそうです。
これは私の大好きな言葉。
二人の囚人が鉄格子から外を眺めた。
一人は泥を見た。
一人は星を見た。
言葉には魂が宿る。自分自身の心に刻んだ言葉は消えない。
「みんなに通じる」ものは何か。
これからも考え抜いていきたい。