やる気があるから学ぶの?

「やる気がないと、この授業はついていけないね。」



昨日の学校公開日。
参観されている方からそんな声が聞こえてきた。



昨日の授業だけを切り取って参観したら確かにそのように思うだろう。
子ども達が自分で疑問をもち、その解決に向けて積極的に学び合う。
授業時間中、常に思考をとめることなく学び続ける。
そんなことができる子どもはそうとう「やる気」がある子なのだろう。



多くの人達は「やる気があるから、授業についていける」と考える。
私もはじめはそのように考えていた。
しかし、「学び続ける子ども達を育てる」と目的を定め試行錯誤を重ねるうちにそれは違うのではないか?と考えるようになった。
「やる気があるから、授業についていける」
私は逆だと思うのだ。つまり、



「授業についていくうちに、やる気が生まれていく」
ということ。
教師に求められるのはそんな授業を追い求め続けていく力なのだろう。



「やる気」が初めからある子どもなど、ほんの一握りなのだ。
今の姿があるのは、子ども達の自信が降り積もった証なのだ。



4月にあんなにレポートを嫌がっていた子が今では「先生。早くレポートの表紙をください!」と言う。


4月に15分で原稿用紙に2行しか書けなかった子が今では15分で400字以上涼しい顔で書き始める。


4月に話しかけることもできずに授業中一人で黙りこくっていた子が今では自らの考えを積極的に自らの疑問を友達と話し出す。



誰もが4月は甘さがあった。
しかし、「徹底的に聴き、徹底的に学び合い、徹底的に書く」という軸からぶれることなく学び続けてきた結果、子ども達の中に「自信」が生まれ、それが「やる気」となってあふれ出しているのだろう。



「やる気」があるから学ぶ。
それはある意味当たり前のことだろう。
教師に求められる力は
学ばせていく中で子ども達の「やる気」を培っていく力だと思う。



子ども達に信じて任せる。
それは最終的な目的地に過ぎない。
初めからそれをしてしまっては「ほったらかし」になってしまう。


教師の役割とは何か?
そんなことを考えさせられた。
頭の中でいろいろなことが繋がり始めている。