いじめ

「先生がこの世で一番嫌いなものってなんだかわかるかい?」
この一言から始まった。


答えは「いじめ」である。
私自身もいじめられた経験がある。
「いじめ」は人の尊厳を根本からズタズタにする最低の行為だ。


しかし、立ち止まって考えてみる。
誰もが「いじめ」はいけないということを知っている。
しかし、「いじめ」って何なんだ?
どういう状態が「いじめ」なんだ?
これを子ども達に問いかけた。
「んっ??」みんな困惑した表情を浮かべる。



「『いじめ』はいけないことって、みんなわかってるよね。でもその『いじめ』がどういうものなのかがわからなければせっかくのその想いも無駄になってしまうよね。」


そこで説明をした
いじめには3つのタイプがある



タイプ? 自分と違う人をいじめる
タイプ? 強そうな人が弱そうな人をいじめる
タイプ? 大勢で少数をいじめる←これが最低



?について
違うって何だ?子ども達から数多くのことがあがった。
「身長」「体型」「服装」「性格」「髪型」「言葉」…。自分と違うのは「当たり前」。
それをつまみあげて「いじめ」の対象にするなんて許せないことだ。


?について
ここで大切なのは「強そう」「弱そう」という言葉。
「強い」って何だ?「弱い」ってなんだ?
本当に「強い」人は決していじめなんかしない。
「強い」人ほど優しいものだ。
いじめられている人は本当に「弱い」人なのか?
どんなに自分が傷つけられても人を傷つけない。
そういう人が「強い」人なのではないか?
「強い」「弱い」は目には見えない。心の目を磨け。


?について
?も?も最低だ。しかし一番最低なのは?だと私は思う。
これによって多くの子が、自ら命を断っている。
特定の人を排除することによって自分の安住の場をつくる。
そんなことが許されていいものだろうか?
人の「不幸」の上に積み上げられた「幸せ」には何の価値もない。
次に排除されるのは自分かもしれない。
そんな不安にびくびくしながら過ごす毎日になんの魅力も感じないだろう?


「ケンカ」はどんどんしろ。しかし、「いじめ」は決してするな。
意見が違うのは当たり前。
それをすり合わせるためにお互いに激しくやりあうこともあっていいはずだ。
1対1でとことん論じ合うことは、自分自身を成長させる。
しかし、「いじめ」からは何も生まれない。
生まれないどころか、すべてを奪い取る。


「いじめ」って何なんだ?
それがわかれば、立ち止まることができる。
このクラスを「安心」して学び続けられるクラスにできるかどうかは、
みんなの手にかかっている。
一緒につくっていこう。


そんなことを話した。
子ども達の真剣な目が心に突き刺さった。