終わりを感じる力

子ども達の目的は「過程」。
大人の目的は「結果」。
「過程」と「結果」
どちらも大切なこと。
しかし、いつまでも「過程」に縛られていてはいけない。


「過程」を大切にしながらも「結果」を追い求める。
それを口先でなく、背中で子ども達に示せるか?


先の先まで見て子ども達を育て抜く。
「過程だって大切」。
子ども達にそう語りながらも常に「結果」にまで思いを馳せる。
そんな教師であれ。


すぐに出る「結果」など「結果」ではない。
教育における「結果」とは、遠く果てしないもの。
自分のもとを離れてもなお、前向きに学び続けられるか否か。
教師である自分の存在が子ども達の中から消えることが前提にある。


そう考えると「出会い」にも「別れ」にも余計な力みがなくなる。
自分の存在を示そうとすればするほど体に力が入る。
そんなものは必要ない。
消えゆくことこそが教師の定めだから。
自分という存在が消えてもなお、心に燃え続けるものを刻めるか?



子ども達の心に全力で刻め。
消えゆく定めだからこそ全力になれる。
始まった瞬間から終わりを見ている。
そんな教師であれ。
出会いという「非日常」に囚われるな。
終わりがあるから始められる。
自分が消えたあとの子ども達に思いを馳せろ。
大切なのは「日常」に魂を吹き込むこと。
当たり前の「日常」を「非日常」にする教師になる。
黄金の三日間という「非日常」に囚われない。
大切なのはその奥にある。