問い続ける力

「個」を育てるために「集団」を育てる。
「集団」はあくまで手段でしかない。


「集団」を見る。
そこで何が起きているのか。
何が上手くいっているのか。
まずい所はどこか。


それらを瞬時に看取れ。
それが看取れないのに「集団」に任せるのは危険。
腐りを見逃すと取り返しがつかないことになる。


「覚悟」もなしに飛び込むな。
教師が楽になる?
そんなものはない。幻想だ。


「覚悟」があるならば強く問え。
その「覚悟」はどこから生まれたのか?
その「覚悟」は本物か?


「覚悟」が甘いから逃げ出す。
上手くいかないのは「やり方」のせいではない。
己の「覚悟」だ。


「目的」が定まれば「覚悟」が決まる。
「覚悟」が決まれば「やり方」が見えてくる。


多くの者は「やり方」から出発しようとする。
だからふとした瞬間にぶれる。
「目的」がないから修正できない。
どんどんそのぶれが重なっていく。
そして崩れ始める。



「目標」を語るな。「目的」を語れ。



子ども達に何を語るか?
子ども達が何を語るか?


その二点を見れば教師の力量は自ずと見えてくる。



何のためにやる?
なぜそれをする?
何を目指している?
それによってどうなってほしい?
それをすることで自分をどう成長させたい?…。



それを問いかけずに子ども達を成長させることはできない。
子ども達を大人にする。
そのためには「目的」を常に見据え続けられる強さをもたせなければならない。


「子ども達」は「教師」の鏡。
「教師」の心を映し出す。
子ども達を見て「己の心」を感じ取る。
子どもを叱りながら己を叱りつける。
子ども達に問いながら己に問いかける。
己を「肯定」も「否定」もする必要はない。


なぜだ?
それでいいのか?
己にひたすら問い続けろ。それだけだ。
愚直に問い続ける。
それしかない。