「無」へと歩む

どんな取り組みも1つの「技術」に過ぎない。
一流の教師は「技術」を無意識に繰り出す。
三流の教師は「技術」に縛られる。
「技術」は人を一定の所まで引き上げてくれる。
しかし、その「技術」への過信、盲信が身を縛り始める。
次のステージには進めない。過信、妄信はじわじわと身を腐らせていく。


本来「型」も「技術」もいらない。
「在り方」のみで子ども達を本気にさせられる。


「型」もない。「技」もない。
「型」「技術」を捨てるということは「無」に近づくこと。
そこを目指さねば一流にはなれない。


いくら目指しても「無」の境地になど至ることはできないのかもしれない。
しかし、それを目指して日々削ぎ落とそうとしているか?それが大切。


届かないものに手を伸ばそうとするからこそ成長していける。