子どもを尊敬できますか?パート2

前回の続き。
はっと気づくことがあったので。

前回の記事
http://manabiai.g.hatena.ne.jp/furu-t/20110925

「子どもを心の底から尊敬し、接することができるか?」
そんな言葉をたびたび耳にする。
しかしそれは私達大人からするととても難しいこと。
どうしても子ども達の「できない所」や「無知な所」が目についてしまう。
心から尊敬するために「子ども達のすごさ」に目を向けられる人でありたい。



うちの娘(3歳)は「プリキュア」が大・大・大好きである。
昨年からずっと日曜の朝は見続けている。
しかし1月末で番組が終了。
最終回が近づくにつれて娘の顔は真剣に。
ずっと見続けてきた番組が終わりを迎える。
自分がもし大切にし続けたものが終わりを迎えるとしたらどう思うだろうか?
きっと心にぽっかりと穴があいてしまうだろう。


「もうそろそろ終わり。見れなくなるのはつらいだろうなぁ…」
そんな風に思っていた。



しかし…
最終回を迎えても娘は全然悲しそうなそぶりを見せない。
「楽しかったね〜」と余裕の表情。
それどころか
「次は『スマイルプリキュア』が始まるんだよ〜!楽しみだね〜!」と。
あれ?終わっちゃったのに悲しくないの?



多分これが子ども達のもつ力なのだと思う。
子ども達は常に「先」を見ている。
我々大人はどうしても過去に縛られてしまう。
「今まで積み上げてきたものを崩すことへの恐れ」
「新たな世界へ飛び込むことへの躊躇」
これらに知らず知らずのうちに縛られ身動きがとれなくなってしまう。



「幼稚園に早くいきたい!」
「お出かけしたい!」
「お友達をたくさんつくりたい!」
娘は常に「先」への憧れを抱いている。
過去に縛られることなく、常に「先」を。
自分の知らない世界に飛び込むことを決して恐れない。
これはどの子どもにも備わっている共通の力なのだろう。



そんなことを考えながら息子(1歳)を見つめる。
言葉は話さないがこの小さい体にも「憧れ」がつまっている。
「おねえちゃんがやることを自分もできるようになりたい!」
そんな思いがあふれている。
「失敗するかもしれない」という恐れはない。
ただ「やってみたい。」その思いのみ。



子ども達は「挑戦」を恐れない。
そして「失敗」も恐れない。
そしてそれが「当たり前」だからそれがすごいこととも思わない。
だから「失敗」に対して優しい。
何度もやり直す。
あきらめることなく「先」へと目を向け続ける。



我々大人はいつから「挑戦」「失敗」に対する恐れをもつようになってしまったのだろう。
子ども達の小さな体に秘められた力強さ。
それにはっと気づかされる。
そんな経験の積み重ねが「子ども達を尊敬する」気持ちへとつながっていく。



我々教師のすべきことは何か?
時が経つにつれて薄れていく子ども達の「力」を何度も何度も繋ぐことだろう。


「大切なのは挑戦し続けることでしょ?失敗したていいじゃない。みんなならできるはずだよ。思い出してごらんよ。ねっ?」


子ども達のもつ「挑戦する力」「先を見続ける力」。
これらを繋ぐ。それが我々の役割なのだろう。