育てられていますか?
本校では6年生が鼓笛を披露する。
今の時期、6年生は下級生に鼓笛を引き継ぐ準備をしている。
放課後は毎日下級生と鼓笛の練習。
毎日懸命に教えてきた6年生。
その練習も明日で終わり。
来週からは下級生のみで練習を行うことになる。
明日でいよいよ合同練習も最後。
そこで本日の練習の終了後に子ども達を集めて話をした。
「いよいよ明日で6年生が練習に参加するのは終わりですね。6年生のみんな。下級生にしっかりと教えることができましたか?」
数人がうなずく。そこで再び問う。
「しっかり教えることができたようだね。今日の練習もみんな一生懸命だったもんね。」
「教えることはできたね。じゃあ育てることはできた?」
皆戸惑いの表情を浮かべる。
「『教』えて『育』てることが『教育』だね。みんなは一生懸命教えたよね。じゃあ下級生を育てられたかい?」
「自分が下級生を『育て』られたかどうかってよくわからないよね?でも自分が下級生を育てられたかどうかが見極められる方法があるよ。」
「簡単なこと。下級生に聞いてみればそれがわかる。」
「どんな鼓笛にしたいの?なんのために鼓笛をやっているの?って」
「そう聞いて下級生がニコニコしながら自分が目指す鼓笛を語り出したら、君たちは人を育てる才能があるね。」
「でも逆に黙り込んでしまったら、教えただけで育てられていないということ。」
「『どんな鼓笛にしたいのか』がしっかり定まっていれば『足をしっかりあげて』とか『音をそろえて』とか言わなくてもよい演奏はできあがるはず。逆に目的も持っていない人に一生懸命テクニックを教えてもそのうち崩れていってしまう。」
「私達はこんな思いを抱いて鼓笛をやってきたんだ。と6年生は語っていますか?それを語らずに方法だけ教えても下級生を育てることはできないよ。」
「明日で6年生が練習に参加するのは終わり。しっかり伝え切ってくださいね。」
自分は人を育てられているか?
常に己に問いかける。
人を育てているか否か?それは単純なこと。
接した人が「目的」を語る人へと成長しているかどうかだ。
自分の「目的」を嬉しそうに語る。
そんな人が育っているか?
その一点のみを問い続ける。
子ども達を「目的」を語れるように育てる。
「目的」がある人はどんな困難にもめげずに学び続けられるのだ。
人を育てる感覚を抱いて、子ども達に卒業してほしい。
そのために刻み続ける。