[教師の在り方]つまみ食いの危険性

この世の中にはたくさんのテクニックが溢れている。
しかし、どんなに素晴らしいテクニックを利用しても、教師の自身が
「これで子ども達を育てる!」
という明確な意志をもたなければ子ども達は育たない。



あれこれつまみ食いするのは簡単なこと。
うまくいかなければ全てテクニックのせいにするだけ。
「この方法だからうまくいかなかったのだ。」
自分自身の在り方から目をそらし教室に何を持ち込んでも、
教師自身の覚悟が決まっていなければ持続はできない。
当然子ども達は育たない。



テクニックの奥に流れている「在り方」「考え方」を掴み取る努力をせずに
つまみ食いすれば失敗するのは目に見えている。



テクニックに責任を押し付ける。
「学び合い」とて同じこと。
「学び合い」を教室に持ち込んでもその奥底に流れている考え方を掴み取る覚悟を持たないと崩れるのは目に見えている。
持続は不可能。



確かに誰もがはじめから「在り方」「考え方」を理解できるのはずはない。
テクニックから入るのは当然のことだろう。
しかし、テクニックから入るということはつまみ食いの対象になり得るということ。「学び合い」が教師にとって都合よく使われることはなんとしても防がなければならない。



うまくいかない時、己の在り方に立ち戻らず、子どもに責任を押し付ける人はたくさんいる。
その人が「学び合い」をつまみ食いした時、不幸になるのは子ども達だ。
だからこそ我々は慎重に言葉を紡がねばならない。
だからこそ「こうすればうまくいく」などとは口が裂けても言えないのだ。