子どもを尊敬できますか?

「子どもを心の底から尊敬し、接することができるか?」


そんな言葉をたびたび耳にします。
しかしそれは私達大人からするととても難しいことです。
どうしても子ども達の「できない所」や「無知な所」が目についてしまいます。
私も口では「尊敬する」と言っていながら
言葉だけが独り歩きしていたことがありました。
ごく最近までそうだったかもしれません。
しかし、最近は本気で「子どもってすごいなぁ。」と思えるようになってきました。



我が家には積み木があります。
四角い積み木。その積み木には丸い穴が開いています。
台座に四本の棒があり、そこにその積み木が刺さるようになっています。
娘はその積み木がお気に入り。小さい時からそれで遊んでいました。
娘は言葉がうまく話せない時からそれを「ケーキ」と言って私と妻に差し出します。
四角い硬い積み木。それがなぜケーキなのか私達は全然わかりませんでした。
娘が話ができるようになってそのなぞが解けました。
娘は棒に刺さっている積み木を見て、棒の部分をろうそくに見立てていたのです。
なるほど、だから棒から出してそれをお皿にわけ、
ケーキとして我々にふるまっていたのか。
そう言われてみると確かにケーキ。
私は言われるまで四角い積み木をそんな風に見ることはできませんでした。




また、こんなこともありました。
ひらがな表をみていた時のこと。娘が言い出しました。

「め」はね「の」のお友達なんだよ。

はじめ何を言っているのかわかりませんでした。
私にとっては「め」は「め」でしかありません。
しかし、娘によく聞いてみるとわかりました。
「め」の字の中には「の」があるのです。
この視点も目からウロコ。言われるまで全然気づきませんでした。



なぜ、子ども達はそういう柔軟な視点で物事を見ることができるのでしょうか?
それは「知識が少ない」からでしょう。
我々大人は知識があります。そのために知識が邪魔をするのです。



積み木は硬いもの。ケーキは丸いもの。ケーキはやわらかいもの。
ろうそくの火は赤いもの。「め」は「め」。「の」は「の」。…。



大人は知識があるがゆえに物事を決め付けて見てしまいます。
しかし子どもは違う。
知識が少ないからこそ、「こうあるべき」と決め付けて物事を見たりしないのです。



知識があるからこそ見えることもある。
知識が少ないからこそ見えることもある。



知識があることが重要で、知識が少ないことは恥ずべきこと。
我々大人はそんな風に思いがちですが、実はそんなことはない。
知識が少ない子どもだからこそ、見つけ出すことができるものがあるのです。


子ども達は我々大人がもっていない柔軟な発想をします。
そしてどんな事も決め付けることなく力強く歩みます。
知識が少ないからと言って馬鹿にできるでしょうか?


子ども達だからこそできることがある。
子ども達にしかできないことがある。
我々大人にもっていないものを子ども達はもっているのです。


そう考えた時、子ども達に対する言葉かけは変わってくるものです。
「子どもを尊敬する」という言葉の意味が見えてきます。


確かにできないことも多い。
知識も少ないかもしれない。
しかし、だからこそできることがある。


上から目線で知識を詰め込む教師ではなく、
互いに尊敬し、尊重しあいながら日々を送りたい。
そう考える今日この頃です。