授業の在り方]「ルーズな学び」に気づく

どんなに良い学びをしていても、
常に目標を意識していなければどんどん「ルーズな学び」へと変わっていきます。


「こんなもんでいいかな?」
「まあいいだろう。」


教師自身が子ども達をどこまで高めたいのかを見失ったとたん、
子ども達の学びはルーズになるもの。
教師はクラスの中で唯一未来を見据えて語れる存在。
その教師が「これでいい」と考えた瞬間、子ども達は現状に満足し始めます。


「ルーズな学び」は音も立てずにクラス内に侵入してきます。
教師も子ども達も気づかないうちに。
そして気づいた時にはもう「ルーズな学び」へと…。


しかしルーズになることなく、常に完璧な学びを続けることができるでしょうか?
それは不可能です。常に百点満点の学びを続けることはできません。

我々教師に必要な力は常に完璧な学びをする力ではないと思います。
(もちろんそれを目指して努力していくことは大切です。しかし、常に完璧はありえません。)

我々に必要な力。それは教室の学びがルーズになった時に気付き、修正できる力です。
しかし、人の脳は盲点が多く、何かに集中すると他のものが見えにくくなるものです。


では「ルーズな学び」に気づくためにはどうすればいいのでしょうか?
私は「教室を開く」ことが大切だと考えます。
様々な人の違う目線で教室を見せ合う。
そこで気づいたことを気軽に話し合う。
それだけで自分の教室の学びが見えてきます。

スタンドアローンで学んでも子ども達の学びはよくはなりません。
「開かれた学校」という言葉があります。しかし、まだまだ教室での学びは開かれていません。
「子ども」「教師」「保護者」「教室」「学校」…
それらが自由に繋がり合うことで教子ども達はさらによりよく学ぶことができるでしょう。


「ルーズな学び」に気づける自分になること。
そして「ルーズな学び」に気づける環境を整えること。
どちらも今の自分の課題です。