[学級経営の在り方]見えたっ!

掃除の時間。
教師は何をすべき?
いつも悩んでいた。




以前の自分。


「ここ汚いぞ!」
「しっかりやれ!」


各掃除場所を怖い顔で回る。
子ども達は確かに掃除はする。
しかし、先生がいなくなるとゴミなんかは目に入らなくなる。




「いかんいかん。」


そう考え直して、掃除の意味を語り、子ども達に任せる方法にしてみる。
しかし、これも上手くいかない。
子ども達は確かに一生懸命掃除をする。
しかし本当に汚れている所にはなかなか目がむかない。
自分の力不足。
任せるだけではだめだなぁ。
どこが汚れているのかを子ども達にしっかりと伝えることも必要だ・・・。
でも、伝えると前の自分に戻ってしまう。




自分が懸命に掃除をして背中で伝えてはどうかな?
そんな風に考えたこともあった。
すみずみまでせっせと掃除に励む自分。
しかし、どんなに自分ががんばっても子ども達の目は養われない。



怒るのはいやだ。
見守ってもなかなか上手くいかない。
背中でもなかなか伝わらない。



振り子のように揺れ動く。
一体どうすればいい。
怒ることなく子ども達の目を養うことができる方法とは…。



「はぁ…。掃除か…。」
重い足取り。
そんなわけで以前は掃除の時間になると気が重くてしかたがなかった。



しかし、最近やっと答えを見つけた。
怒ることなく、子ども達の目を養える方法。
しかも教師の背中も見せることができる方法。



それは「教師が班員として共に掃除する」こと。
今は毎日どこか1つの掃除場所に混ぜてもらっている。


そして始まり前に必ず聞く。


「今日はここをきれいにするためになんでもやるよ。何をすればいい?」


掃き掃除を頼まれたら、さらに聞く。


「どこから掃けばいい?」
「どこまで掃けばいい?」
「どういう方向で掃けばいい?」


それが終わったらまた子ども達にきく。


「他には?なんでもするよ?」


これをくり返していくと、しまいには子ども達が今まで見えていた範囲が消える。
すると子ども達はじっと掃除場所を見つめる。
探す。考える。
どうしても見つからないと子供同士で相談し始める。
そして、よ〜く見なければわからない汚れた箇所を指さして、


「ここをこうしてください。」
と私に指示を出す。
その瞬間が嬉しい。
そしてめちゃくちゃきれいにしてやろうとやる気がみなぎる。


子ども達も一生懸命。自分も一生懸命。
気づくと終了の時刻。



教師。子ども。
そんな枠を通りこして1つになれる掃除の時間。気持ちがいい。
今では掃除の時間は「没頭」できる大切な時間。
子ども達にやらせるのではなく、共に創りあげる。
この感覚を大切にしたい。