[私はこう思う]自ら学び続ける子ども達を育てるには?

学級通信147号より


人はどんな時に自ら学び続けるのでしょうか?
「やらなければだめだ。」そんな風に強制すればいいのでしょうか?


答えは「NO」
強制の中では主体的な学びなど生まれません。



では何も強制せず、温かく見守っていけばいいのでしょうか?



それも「NO」
それではただ毎日を無駄に過ごしていくだけです。
では自ら学び続ける子ども達を育てるには?



強制?見守る?どっち?しばしば迷います。
親であれ教師であれこの迷いは誰もが感じるものなのではないでしょうか?



しかし、実はこの迷いはそれほど意味をもちません。
自ら学び続けることができる子は誰かに強制されても、
好きなことをしていいよと任せられても思いっきりいい学びをするのですから。
彼らはどんな状況であろうと学び続けるのです。



この世にはたくさんの道があります。その道にはそれぞれ一流の人がいます。
彼ら一流の人には共通点があります。
それは「努力」でも「がんばり」でもありません。



それは「楽しめる」ことです。



「合格」なんてはちまきをしめて勉強に励む子どもをテレビなどで目にします。
しかし、本当に頭がいい人ははちまきなんかして受験勉強なんてしません。
にこにこしながら、人とコミュニケーションをとり、
自由に楽しみながら学びます。
一流の人はがんばらなくとも、
自分のやりたいことを楽しんでいくだけで道が拓いていくのです。



一流の人になぜ成功したのか?ときくと
「努力」「がんばり」なんて言葉は口にはしません。
それはそんなものとは無縁の世界で生きているからです。
がんばって道を拓いていく人は所詮二流です。



無意識の状態で結果がだせる人は「一流」
がんばって結果を出す人は「二流」
無意識にやって結果が何もでない人は「三流」


無意識の状態でも知らず知らずのうちに歩みを進めている状態。
歩みを進めている自分でないと心がモヤモヤする。
それが「自ら学び続ける」という状態です。



「確かにそうだけど、どうやってその状態をつくりだすの?」



それには未来に自分がなりたい自分をリアルに想像することが大切。
そして、それに対する今の自分の立ち位置を見つめることが大切。
「現在が未来をつくる」のではなく
「未来が現在をつくる」と考えを変える必要があります。



遠くにある目的を定め、そのうえで今の自分を振り返る。
その繰り返しが「自分らしさ」につながっていくのでしょう。


「将来どんな自分になっていたいの?」「そのために今やるべきことって何?」
子ども達に常に未来を見つめさせていきたいものです。
それを無意識に感じられるようになったら、子ども達はどんな状況であれ夢にむかって学び続けるでしょう。