[私はこう思う]悩み

最近、というかずっと悩んでいる。


自立して学び続ける子ども。
そんな子ども達を育てるためには?
「学ぶ」ことは簡単。
しかしどんな状況であっても「学び続ける」のは難しい。
たとえ教師である自分が目の前にいなくとも。
自分の周りがどんな状況になろうとも真っ直ぐ前を向き「学び続ける」子ども達を育てたい。
今回の大震災をめぐる多くの出来事の中、そんなことを強く感じた。


そんな子ども達を育てるには?


教師の考えを押し付けてはいけない。
彼らの心の中にある答えを掘り起こす。
そのために子ども達に問いかけ、任せ、委ね、叱咤激励しながら前へ進んでいかねばならない。


しかし、ただ任せ、委ねているだけではだめ。
子ども達の自己評価はどうしても甘くなりがち。
それはそうだ。子ども達にとって現在学習していることはすべて未知のもの。
自分が良い学習をしているかどうかなんて見えるわけがない。
がんばっている自分を子ども達自身が高評価するのは至極当然のこと。
子ども達が本当に高度な学びをしているか否か。それが見えるのは教師だけ。



子ども達は自分の能力を伸ばし切る手前で満足してしまう。
子ども達だけではどうしても辿り着けない境地があるのだ。
それに気づいた昨年度。


そう思って1学期は、ぐぐぐっと力をかけた「学び合い」を進めてきた。
ゆるく任せず、きっちりと時間を設定し、子ども達に圧をかけ、
「もっと高く」「もっと深く」「もっともっと。。。」


その結果、子ども達の力はあがった。
15分で600〜1000字ぐらいは涼しい顔で書ききれるようになった。
めきめき力をつけてきているのを感じる。


でも頭をちらつく。
「今、自分がいなくなっても、彼らは学び続けますか?」


答えはおそらく「No」
人は(もちろん自分だって)やすきにながれる。
勉強がたまらなく楽しい。と思えていないならば結局は元通り。
そんな環境を創り上げられているか?う〜む。


力を加えなければ見えないものがある。
でも力を加えると閉ざされる道もある。
大事なのはバランス。言うのは簡単だがそのバランスってすごく難しい。


優れた教師とは、そのバランス感覚に長けたひとなのだろう。
今の子ども達と共に過ごせる期間もあとわずか。
考えさせることも大事。指し示すことも大事。
子ども達と共に自分も日々、修行。だな。