[私はこう思う]「破」

「はいどうぞ」


この一言で学ぶ子ども達。
確かにすごいと思う。しかしその授業がゴール地点??


「はいどうぞ」の授業。
これは「守」「破」「離」の「守」でしかない。
いつかは破られることが前提の授業。


誰もができる「はいどうぞ」の授業。
その授業に自分の「色」がついた時、
「守」に一点の穴があく。



「『はいどうぞ』で授業が成立するならば、別に先生なんていらないのでは?」
「地域の大人だれでもいいのでは?」
「先生がやることの意味って?」
芦田先生が来校された時言われた言葉。


そう、「守」の授業は先生でなくてもできる。
それを教員しかできない授業、いや
自分にしかできない授業にするために「破」らなければならない。


誰かの実践を真似ても自分の「色」はつかない。
所詮他人の「色」
借り物の「色」
「魂」はこもらない。


自分なりの「色」をつける。
そこからがスタート。


自分の「色」を貫く人ともっともっと繋がりたい。
そして、自分自身も繋がるに値する人へと成長したい。