※「人格の完成」とは?

教育の目的とは子ども達に「人格の完成」をめざすこと。
では、「人格の完成」って?


「俺やること終わったから教えてあげるよ〜」
「できた〜!できたから教えてあげるよ〜」
「自分の課題はいいや。とりあえず教えにいこ〜っと。」



これって『学び合い』の目指す「人格の完成」なのか?
自分の立ち位置もわからず、自分のやるべきことも見えず、
課題も終わった気になっている。
そんな人が知識をひけらかし、教えにいくのが「人格の完成」?
これは違う。



自分がやるべきことはしっかり見えていて、足りないこともわかっている。
だけど、周りに困っている人がいて、相談されたら、共に考えてあげられる人。
目指すべき目標をもち、常に上を目指しながらも、
周りの人のことを気遣い進んでいける人



そういう人こそが
「人格の完成者」だろう。
では、どうすればクラスにおける上位児(上位と勘違いしている子)に
人格の完成をもたらせるのか?


そのためには、上位児が現状に満足せずに歩み続けられる環境をつくらねばならない。

教室では確かに上位。でも、日本全国では?
自分が「わかった気」になっていることを示さなければならない。
これは教師にしかできないこと。
そのためには、教師自身が
「ここまでできればいいだろう」と見切らず、さらに上の学習を示し続けなければならない。


前にも書いたが、私もtontanさんもクラスの子ども達に
「教えにいくな!」と言います。


「わざわざ教えになんか行かなくていいよ。そのかわり、『わからないんだ…教えて』って言われたら寄り添ってあげよう。教えにいかなくていいけど、心は開いておこう!『私はこの課題をやっているからこないで!!』っていうオーラはやめようぜ。」


自分の課題と、周りの状況。
それらにうまく折り合いをつけながら学ぶ環境をつくれるのは教師だけ。


「教師」も「子ども達」も学び続けてこそ、『学び合い』だ。