ゆっくりでもいい。伸びているか?

学級通信129号より↓↓


「ゆっくりでもいい。自分自身が伸びている実感があるか?」


これはよく私が子ども達に問いかける言葉です。


私のクラスでは
「誰かにやらされるものではなく、自分のために行う学習」
を目標に日々学習に励んでいます。


だから宿題も先生がプリントをコピーして渡すという形式はとっていません。
教室後方に、様々な種類の学習プリントを印刷して置いています。
子ども達はその中から、自分にあった宿題を選び、もっていくようにしています。
帰りの学活の時間に係の子が呼びかけます。


「宿題をもっていきましょう。」


登校したら、2時間目まで採点を終わらせ提出します。
私は、「提出した」「提出していない」ということより
何人出したか。そして、その学習の質はどうかを見ることにしています。
「提出していないぞ!」なんて、きつく縛ってはいません。
でも、子ども達は自主的に宿題を出すようになってきました。


ある日、ぐちゃぐちゃに書かれた漢字プリントが提出されていました。
朝に急いでやって提出したという感じです。
私はその子を呼んで聞きました。


「君はこのプリントに取り組んで『自分が伸びたなぁ』と感じられたかい??」


呼ばれた子は首をふります。私は続けます。


「自分の勉強を評価するのは先生じゃない。自分自身でしょ?
 提出したとか提出していないとかそんなレベルの低い話じゃない。
 君自身が『俺成長してる!』って思える学習をしているかでしょ?
 魂がこもった学習ができているかでしょ?そこが大事なんじゃない?
 自分が成長できていないと感じる学習を提出して意味があると思う?
 確かに提出したから先生は怒らないかもしれない。でも君自身それでいいの?」


その子はやはり首をふります。私は言いました。


「よかった。このままじゃだめだって実感できているなら、伸びる素質はある。
 今日の自主学習は失敗したね。でも大丈夫。今日気づいたなら。
 じゃんじゃん失敗すればいい。ゆっくり成長していこう。」


次の日、その子の自主学習は私の笑みがこぼれるほどの魂がこもっていました。




私は思います。
子ども達に本当に大切なのは



「学び続けようという心」「成長したいという願い」だと。



一人ひとり成長のスピードは違います。
どんなに下手くそでもいい。どんなに失敗してもいい。
大事なのは
「ゆっくりでもいい。伸びているか?」ということ。



「このままじゃいけない!なんとかしなければ!」
と思える人は、ゆっくり伸びていける人。
「こんなもんでいいだろう。」「俺にはどうせできないよ。」
こう考える人は歩みを止めてしまった人でしょう。



昨日のなわとび記録会の最後に、学年の子ども達にこんなことを話しました。


「評価は自分自身がするもの。大切なのは『自分が成長できたか』ということ。
 例えばね。なわとびが得意で3分で300回くらい跳んだ人がいるとするよね。
 その人が最後の30秒に『つかれたし、300回跳べたからそれでいいや』
 と思ってやめたとしよう。
 一方、すごくなわとびが苦手で3回ぐらいしか跳べない人がいるとする。
 その人は何回失敗しても何度でも挑戦して、
 3分が過ぎるまで挑戦し続けたとする。
 みんな。どっちが伸びる人、成長する人だと思う?」


学年の子ども達は「3回しか跳べないけどがんばった人」と口々に言いました。


「そうだよね。
 でもABCで評価されたら、300回跳べる子はAで3回の子はCになっちゃうよね。
 それって変だよね?
 だから、本当に大切なのは数字じゃないってこと。
 例え評価がCであってもそれが胸をはれるCかどうかが大切。
 ゆっくりでも伸びている実感があるならそれは胸をはれるC。
 ただなまけて、遊んでいて結果が出なかったなら、それは胸をはれないC。
 それはAをとった人も同じ。
 『これくらいできればいいんじゃない?』って手を抜いたAなのか。
 本気でやりきって、もぎとったAなのか。
 確かに先生方は学期末に成績で評価はするよ。でも評価は自分自身がするもの。
 他人にされるものじゃない。
 君達の今日のなわとび記録会。いかがでしたか??」



先日の算数のテストでも同じことを話しました。
ある男の子が計算ミスをして、
自分の思うような点数をとることができず落ち込んでいました。


「はぁ・・・。僕はもうだめだ・・・。どうすればいいんだ〜。」


なんて落ち込む彼。私はこう聞きました。


「点数なんて気にしなくいい。大事なのはゆっくりでも伸びていくこと。
 いつも言っているよね?
 でも君はさっきからずっと落ち込んで自分を責めて、ただ時間が流れている。
 今の自分。ゆっくりでも伸びているなぁって思える?」


その子は首をふりました。


「じゃあ、どうすれば胸をはって『伸びているなぁ!成長しているなぁ!』
 って感じられると思う?」


その子はきりっとした顔で立ち上がりました。


「よし!わからなかった所を友達ともう1回やってみよう!いってきます!」




私たち大人にできることはなんでしょうか?
それは、子ども達を「良い」「悪い」と評価することではないと思います。


子ども達が「学び続けたい」「成長し続けたい」と思えるような環境を、
子ども達と共に創り出すことだと思うのです。


「成績」あっての「心の成長」ではなく、
「心の成長」あっての「成績」だと思うのです。


最近、わがクラスでは「心の成長」と「成績」のサイクルがかみ合い始めています。
先日参観された保護者の方も驚いていましたが、
算数の「百分率とグラフ」の分野の平均点は89.2点でした。
しかし、私は点数をほめません。学びの在り方をほめます。
一番大事なのは点数ではないからです。


「できると楽しいよね?『楽しいもっとやりたい!』って学習できるってすてきなこと。
 みんなの学習のしかたがすばらしいから結果が出たんじゃない?
 これからも胸をはれる学習をみんなでしていこうね。」


人それぞれ、得意、不得意はあります。
そんな自分もすべて受け入れて、「自分はどうする?」と考えられる人を育てたい。
そう考えて日々子どもと接しております。


頭を整理しながらこの通信を書きあげるのに2時間以上かかりました。
ではなぜ、そこまでしてみなさんに伝えようと思うのか?
それは、「学級創り」には様々な人達の知恵が必要だと思っているからです。
クラスは担任が創るものではありません。いや創れるわけがありません。
「子ども達」「担任」「保護者」「地域の人」…
その他にもたくさんの人達が参画して創りあげるものだと思うのです。


子ども達が10年後に飛び立つ社会は「茨の道」です。
そんな社会に、武器ももたせずに子ども達を放り出すことはできない。
では、どんな武器をもたせていかなければならないのか?
そこを本気で考え、語っていくことが私の務めだと考えております。