わからない子が数人残った!どうする!?

matuOKさんのブログ(2010.11.17)で出た話題について考えてみました。

わからない子が授業の最後に数人残ったら
わたしは、わからない子どうしを集めて話をさせています。

一見「えっ?そんなことしていいの?」と思われがちですが
すごく効果があります。
それはなぜか、がんばって書いてみます。



私の学校では、特設勉強部(特勉部)というものが存在しております。


「勉強がちょっと苦手だなぁ〜」という子ども達が放課後に集まり、
お互いに話し合いながら、次の授業の予習を進めるのです。


初め、私は


「勉強が苦手な子達が集まって、予習なんてできるのかな?」


なんて、ちょっと疑問を感じながら活動を見ておりました。


しかし、その効力は絶大。
特勉部に所属している子ども達の能力がめきめきと伸びて、
「あいつ(ら)変わった!」なんて
その子の所属するクラスの担任の先生や
クラスの子ども達がびっくりしているほどです。


私は、「放課後、居残り勉強なんて、絶対に苦痛なのでは?」
と思っていたのですが、『学び合う』楽しさを知った特勉部の子ども達は
全然苦痛ではない様子。



今まで、授業で「説明を受ける側」でしかなく、
受身だった彼らがなぜ変わったのか??


それは、「発信できる楽しさ」を知ったこと
が大きく関係すると思います。


何がわからないのかが共有できる仲間の存在。
これは大きい。


私達大人だってこれは同じです。
自分のやり方を信じて疑わない人と話す時と
やり方を模索している人と話す時のどちらが、自分の考えを言いやすいか?
もちろん後者でしょう。


特勉部の様子を見て
「これは日々の授業にも生かせるな」
と思いました。



私も前までは
matuOKさんのブログにも書かれていたように、
最後までわからず(わからない部分があって)
残ってしまう子への対応へ苦戦していました。




教えてもらっているうちに
どんどん表情がくもっていく子ども達を多く見てきました。


「自分がみんなの学びを止めている」
「でもわかったふりはできない」


そのはざまで揺れるわからない(わからない部分がある)子ども達。
1時間の中でその子達は、翼が折れ、疲弊していく。
それはそうだ、ほぼ受身でしかいられないのだから。


わからない部分がある子ども達が、翼折れることなく、
また学習に立ち向かっていける環境をつくる言葉かけをすることが教師の役割。


表情がくもっていく子ども達が安心して学習できる場とは?

それはもちろん、



「わからない部分がある子ども達が受身ではなく、
 積極的に情報を発信できる場」

それは、わからない部分がある子ども達を集めることですぐに設定できます。



わからない部分がある子は集まって、お互いに何がわからないのか説明しあう。
わかった(わかった気がする)子達は、確認問題。(発展問題ではありません)

それで再び、『学び合い』スタート!


すると、必ず「わかった」と言っていた子どもの中に、
いまいち理解できていない人がいることも可視化されます。



そんなことをしたら、
「わかる子はわからない子に教えなくなってしまうのでは?」
という心配もあると思います。

しかし、そんなことはありません


「自分のことをやっていてもいいよ。
 でも誰かに、『ちょっと教えて』と言われた時は 
 しっかり耳を傾けてあげてね。」


私は常にそういう言葉かけをしています。


わからない部分がある子ども達が一緒に話し合い、
「誰かに聞きたい」
と思った時、
誰もが耳を傾けてくれる環境を整えておけばそれでいいと思います。


わからない部分がある子ども達は、自分が誰かに聞きたいと思ったとき、
好きな人とつながれるのです。


「わからない人達みんなで話し合ったら、ここまでわかったんだけど、
 ここからがわからないんだ。○○くん、教えてくれる?」


なんてふうに。



先日の算数の時間、わからない部分がある3人の子ども達で話をさせました。

すると2人の子は


「先生!わからない人で話したらなんかわかっちゃいました!」


1人の子は


「先生。この問題、休み時間に、もう1回挑戦していいいですか?」



主体的に学ぶ環境があれば、
子ども達は学習に対して前向きになれるのだと思います。



わからない子ども達が、どんな学習の場を求めているのか?
それは毎日変化するもの。

わからない部分がある子どもを集めて話し合っても
うまくいく時といかない時があると思います。


でも、教師自身が



『学び合い』はこうでなければならない!



と固まってしまったら、お互いにどんどん苦しくなると思います。



判断基準は、
「子ども達がどう勉強したいと思っているのか?」


常にそこを尊重できる教師でありたいです。