国語の成績ってどうすればあがるの?
これもまた教育相談であがった話題。
通信を書くことでもう一度頭を整理してみました!
学級通信101号より↓
?国語の成績を伸ばすにはどうすればよいのですか?
この悩みすごくわかります。
国語ほどあいまいでつかみどころのない教科はありませんよね?
先日、子ども達に「なぜ国語はあいまいで難しいのか」について話をしました。
どんなことを話したのか、記述します。
国語の通知表には大きく4つの観点があります。
「話せる・聞ける」「読める」「書ける」「言語事項がわかる(漢字や言葉)」
まず子ども達に聞きました。
「この中で一番簡単に評価できるのってどれ?」
子ども達はすぐにわかりました。もちろん「言語事項」です。
漢字テストなどをやればすぐに点数がわかりますもんね。
そう考えていくと疑問が残ります。
「『話せる・聞ける』はどうやって評価するの?言葉は形に残らないじゃない?」
「『読める』はどうやって評価するの?読めたってどうやって判断するの?」
そうなんです。これが国語の難しさです。評価につかみどころがないんです。
しかし、「書ける」は違います。
「書ける」は先ほどの3つの観点の中で唯一「証拠」が残るのです。
私は授業の中でよくこう話します。
「今日はノートに書かないで、○○についてたくさんの人と情報を交換してごらん?
たくさん話をした人ほど次の時間に良い作品になるよ!」
「数分で書くのが止まってしまう人は、人と話すのが足りない証拠。
人と話をしていない から情報も集まらない。だから書けない。」
つまり、
深い文を「書くこと」が出来る人は、たいてい
「読み取ったこと」を友達と積極的に「話し合い・聞き合っている」ということ。
「話せる・聞ける」「読める」「書ける」
この3つの観点は、別々のものに見えますが、実は1つにつながっているんです。
1つのものを、あえて別々に書いている
それが「国語のあいまいさ」をまねく原因の1つだと思います
「しっかり話し合ったけれど、うまく表現できなかった。」
という人もいると思います。
しかし、唯一証拠が残る「書ける」で結果が残せなかったら意味がないのです。
「勉強したけど、点数が悪かった。」
では意味がないのです。
「結果が出れば方法はまかせる」といつも言っています。
求めているのは「結果」です。
良い文章を書くための「型」は1学期から指導してきました。
論理的な文を書くための4つの型、擬人法、倒置法、呼応の副詞、
書き出しの書き方、原稿用紙の使い方、接続語・・・・
しかし、習ったってつかいこなせなければ意味がありません。
最後に子ども達にこう言いました。
「書くのが得意な人って得だよね〜。
だって書ければ、話す聞くも、読むも、評価があがるんだもん。」
書ける人は、何かその人なりの影の努力があるのだと思います。
それを感じ取り、自分の作品に生かしていけるかが国語の成績を伸ばすカギとなります。
良い文章が書けるようになってください。
良い文章とは、「誰もが納得できる文章」「読んでいてひきこまれる文章」です。