「できる」がスタートライン

今年度の実践を通して見えてきたこと。それはスタートラインへの立たせ方だ。
「書くことがゴールではない」
これはインタラクティブカリキュラムを実践するにあたって何度も反芻する言葉。
「書く(表現する)」という経験を積み重ねていくだけで終わってはいけないのだ。


「書く(表現できる)」ことはゴール地点ではない。むしろその逆。
「書く(表現できる)」ことはスタート地点なのだ。
自分の考えを表現し、人に提示する手段をもつこと。
これをどのように自分自身の学びに結びつけていくか?それが大切なのだ。


その意味でスタートラインに立たせる(表現するという武器を得る)という方法は見えてきたように思える。
どんなに良い考えをもっていても、それを言葉に表せなければ意味がない。


しかし、どんなに言葉を巧みに操ることができても、物事を深く見つめ、自分なりの考えをもつことができなければ意味はないだろう。
そのように考えると「自分の考えを表現する手段をもつこと」と「物事に対して自分なりに考える眼を養うこと」のどちらも大切になってくる。


これらは一朝一夕に身に付く能力ではない。
「これをやれば表現の仕方が身に付く」
とか
「こうすれば自分なりに考える眼が養われる」
というような単純な方法論ではないのだ。


「自分の考えを表現する手段」
「物事に対して自分なりに考える眼」
私はこれらは「繰り返し」中でしか育たないと考える。
何度も何度も繰り返す。その中で薄皮一枚ずつ伸びていく。
それぐらい根気のいるものなのだ。


繰り返せば繰り返すほど子どもたちは伸びていく。
だから自分のとる手段は「すべての授業に通じることを」なのだ。
どんなに素晴らしい実践でも、何度も繰り返し、積み重ねることができなければ効果は薄い。
週に一回素晴らしい道徳の授業を行っても心が育つ訳ではないのと同じ。


だから常に「すべての授業に通じるもの」を考える。
全ての授業に通じていれば常に繰り返し、学ぶことができるから。
だから、インタラクティブカリキュラムを実践しているのだ。
インタラクティブカリキュラムが素晴らしいのではない。
繰り返せる・積み重ねられることが素晴らしいのだ。


教科書の内容を「わかるようにさせる」と考えている人と「できるようにさせる」と考えている人でスタートラインは異なってくる。
私は「できるようになること」がスタートラインと常々考えている。
「できる」からこそ応用できる。
「できる」からこそ比較できる。


冒頭に述べたことに戻る。
今年度わかったことはスタートライン(できる)への立たせ方。
できるようにするための道筋は見えてきた。
しかし、それはあくまでスタートライン。
ゴールはまだまだ奥にある。