「指導」

「指導」という言葉の意味を何度も何度も子どもたちに伝え続けている。
集団が誤った方向へ動き出した時
「そっちじゃない。あっちだ。」と指を指し、導いていける存在。
それが「指導者」だ。


しかし、「指導」という言葉はしばしば違う意味で用いられる。
何か悪いことをした人を叱責し、今後こういうことがないように戒める。
それが「指導」と考えられていることが多い。


「指を指し導く」こと。
「叱責」すること。
これら二つの「指導」の決定的な違い。
それは指を指しているものである。


前者が指差すもの。
それは「進むべき方向」である。
後者が指差すもの。
それは「過ちを犯した相手」である。


「自分が何をやったのか考えろ!反省しろ!」
と相手を指で指し、叱責の言葉を浴びせる。
これは「指導」ではない。


「君の目指すべき道はあっちだ!」
と方向を指差し、そっと背中を押すこと。
それが本当の「指導」のはずだ。
「指導」において何を指さすか。


それを考えていくと、自分の言葉が相手を成長させるためのものか、自分の鬱憤をはらすためのものなのかが見えてくる。
「リーダー」は常に進むべき道を指さしていく。
しかし「ボス」は違う。
相手の非を激しく、執拗に責め続ける。


「悪いことをしたら注意してあげよう。」
学校においてこんな言葉がよく聞かれる。
しかし、子どもたちに「指導」の意味を語ることなく、それを進めていくと危険だ。
子どもたちができない相手を指さし始めるから。


指さすのは「相手」ではなく、進むべき道筋だ。
これを最近何度も何度も子どもたちに伝えている。