坂内という男

坂内智之(tontan)という男。
たとえ福島県を離れても私はこの男のことを生涯忘れることはないと思う。
なぜならば、この男は私に欠けていた「教師の在り方」を胸に刻みつけてくれた人だから。


同じ学校で勤めてからそろそろ2年が経とうとしている。
その間、何時間教育のことを語り合っただろうか。


中学校から小学校へ赴任してきた自分。
当時の自分は常にこう考えていた。



「子どもは教師が決めたシステムで縛るもの。」
「子どもは言うことをきかせる(支配する)もの。」



常に小手先のテクニックばかりを追っていた。
私は学び合いは授業方法の一つだと思っていた。
今でも覚えている。
当時の私が聞いた質問。
「学び合いってどうやるんですか?」


坂内Tの答え。
「学び合いを方法とか技術と勘違いしていないかい?そんなんじゃないんだよ。」


まったく理解できなかった。
少しイラっときたのを覚えている。


しかし、対話を重ねるうちに坂内Tの言はんとしていることがおぼろげに見えてくるようになった。
「やり方」を追っていた自分。だからいつも質問は「やり方」のこと。



「○○ってどうやっていますか?」
「○○な時、どんな声をかければいいんですか?」



坂内Tはどんなことにも本気で話をしてくれた。
「やり方」の話はいつでも深く深くなっていき、
「在り方」レベルの話になっていく。
どの切り口から入っても、最後には「在り方」の話になっていくのだ。


子ども達の目線まで降りる。
その上で「何を見つめ」、「何に耳を傾け」、「何を語るべきなのか」を楽しそうに語るのだ。
この会話の中で自分は磨かれてきたのだ。



坂内Tはよく言った。
「自分の頭はもう固い。若い人の頭は柔軟だ。確かに考えている期間は自分の方が多いだろう。でもだから自分の方が賢いとは思わない。若者の発想力は自分にはもうない。お互いに自分にはないものをもっている。だから一緒にやるんだ。」



その言葉のおかげで、自分が思うことを肩を並べて話すことができた。
「それ、おもしろいね。」「そのとおりだよね。」
そんな言葉が嬉しかった。


引き出しの多さのみを追っていた自分。
己の未熟さを埋めるために「広さ」のみを追っていた。
そんな自分が「広さ」を捨て「深さ」に目を向けられるようになった。
自分に足りない所が彼のおかげで見えるようになったのだ。


言葉になんかできない。
それくらい感謝している。


私は彼にはまだまだ及ばない。
しかし私は彼と肩を並べて仕事をしたいのだ。
「肩を並べる」というのは同じ場所にいることなんかじゃない。
もっともっと上を見続けたい。切磋琢磨できる人間でありたい。


だからこそ自分を磨く必要があるのだ。自分にはまだまだ力が足りない。
真の意味で「肩を並べ」仕事をしたいのだ。


自分が彼から離れ、札幌行きを決めたのはそこだ。
いつまでも彼と共にいてはだめなのだ。
どうしても甘えてしまう自分がいるのだ。




「肩を並べて」いては「肩を並べられない」のだ。




彼ともっともっと仕事をしたい。
そのために自分を磨く。
「いつでも、どこでも、誰とでも学び続けられる自分であれ。」
私が常に子ども達に語り続けた言葉だ。
子ども達にそう語る以上、自分もその感覚を掴みとらなければならない。


子ども達にそう語りながら、自分では誰よりもわかっている。
自分自身がその感覚を掴みきれていないことを。


常にチャレンジし続ける自分でありたい。
そこを磨き抜く「自分らしさ」をもち続けたい。


札幌への赴任はチャレンジの入り口に過ぎない。
子ども達の前で偉そうに語っているだけではだめだ。
自分もチャレンジし続けているという「背中」で語れる自分でありたいのだ。


依存し合い、傷をなめあい、頼り合う関係なんていらない。
お互いに最上目指して突き進む。
そんな関係でありたいのだ。


将来、肩を並べるに値する人間になる。
しばしお別れ。
しかし寂しくなんかない。
全力で走り続けていけば、きっといつか繋がる時がくる。