時間軸は今。そして未来。

避難所学習支援プロジェクト
多くの人は避難所で行われている学びは前の学年の「復習」だと思っている。
しかし、それは違う。
避難所で行われているのは徹底した「予習」だ。


原発の問題は必ず長期化する。それは目に見えている。
地震津波の「天災」とは質が違う。


余震がおさまったら、津波が引いたら、すぐに我が家に帰れるというわけではないのだ。いまもなお土壌は汚染され続けている。


おそらく、今現在、福島県に向けられているのは同情の視線。



かわいそうだね。大変だね。困ったね。つらいね。



おそらく、この言葉は長続きはしない。国民はみんな自分の生活を抱えている。
それはいたしかたのないことだ。むしろ当たり前のことだと思う。
これらの同情の言葉にいつまでも頼り続けてはいけない。
今、私達ができることは、自ら未来を模索し、歩み続ける力。
決して、誰かに何とかしてもらおうなどという甘い考えではいけないのだ。


だから避難所の学びは「予習」なのだ。
彼らに必要な力は履修済みのことをもう一度復習する力ではない。
学んだことがないことでも、多くの人の力をかりながら切り拓いていく力だ。


抜けている所、理解が浅いところ、わかっていない所…。
抜けは多々ある。
しかし、彼らはこの数日で1学期の分の予習はほぼ終わりかけている。


「わからないからできない」
「やっていないからできない」
彼らにこの退路を与えてはいけない。


「わからないから聞く」
「やっていないから挑戦する」
この考え方を魂に刻まないと彼らに未来はないのだ。


学ぶ場を提供すればいい。一生懸命がんばっていればいい。楽しく勉強していればいい。
それは違う。
我々に求められることは、彼らの魂に「自立」を刻むこと。


「誰もやっちゃくれない。俺達がやらなきゃ!」


そう思える大人を育てること。
そのためには、私達は厳しさの中の優しさをもって、未来を指差し続けなくてはならない。


多くの方が学習支援ボランティアに参加し始めた。
輪も広がりつつある。
しかし、支援する人が多くなったからよい学びができるわけではない。
「子ども」対「教師」という関係が数多くできあがっても、彼らは「自立」できない。未来はひらけない。


大切なのは支援に入った大人達が、
「子ども」対「子ども」という関係性を構築するために動くことだ。
「自立」した大人への歩みとなれているか?それを常に自問自答しながら子どもに接していかなくてはならない。


子ども達は大切な未来への種。
厳しさと、優しさという水をもって彼らを育てないと大輪の花は咲かない。
今できることをやる。