そいではいけないもの。

tontanさんのブログでtomkickさんとtontanさんのやりとりを拝見しました。
多くのことを考えさせられました。
自分なりに考えたこと、まとめてみました。




今年、初めて郡山市の研究物展に挑戦してみました。
研究物展出品作品「はじめに」より↓↓


君達は学校に来ていて楽しいかい?
朝、学校に来る時、わくわくするかい?
自分のクラスは最高のクラスだなぁって思えるかい?
ずっとこのクラスでいたいって願えるかい?


子ども達に常に語り続ける言葉だ。
この質問に、全員(子どもも教師も)が力強くうなずける学校を創りたいと常に考えてきた。


しかし、
教員になって8年間、そんなクラスを創ることはできなかった。
どんな方法で授業をすればいいのか?どんな言葉を投げかければいいのか?
うまくいかない時、いつも頭をよぎる考え。それは、


「自分の勉強不足、経験不足が原因だ・・・。もっともっとがんばらないと。」


テクニックを磨くことが、最高のクラスをつくるための近道だと考えていた私。
そのためには、もっといろいろな経験を積まないといけない。
そんな考えから、中学校から小学校への異動を希望した。
私の採用は中学校。国語しか教えたことがない。ピアノもひけない。
それはまさしくバンジージャンプだった。
異動先の小学校は『学び合い』というテーマをかかげて研究を行っている。
そこで出会った『学び合い』という考え方は私の頭の中を180度変えた。
「どのように授業を組み立てるか」ということしか頭になかった私の心につきささった。



どのように勉強をすれば楽しく、結果が出せる学習ができるのか?
それの答えをもっているのは教師ではない。
ではだれか?
「そこで過ごす子ども達自身」だ。
教師は、子ども達がよりよく育っていくための答えを教え(おしつけ)てはいけない。
自分自身をよりよくしていくためにどうすればいいのか?
子ども達自身に考えさせ、見守る存在でなくてはならない。
そこで過ごす子ども達しか「最高の答え」をもっていないのだから。



子ども達が答えを探すのは、時間がかかる。
これは大人だって同じこと。
しかし、自分達で答えを見つけ出した時、子ども達の時は倍速以上で動き出す。
教師はただそれを信じて、語り続けるのみ。


将来子ども達が就職した時、求められる力とはなんだろうか?
上司の話を姿勢正しく聞き、指示どおりに動ける力だろうか?
それは違う。


自分達で変えていかなければいけないと思える感覚。
自分達で変えていく力。
これこそが、未来ある子ども達に求められる力だろう。

社会という荒波に、なんの武器ももたせないで放り出す教育はしたくない。
学校は小さな社会。
学校での成功と失敗は子どもたちを大きく成長させる。
そのためには、「子ども達自身に任せる」と、教師が腹をくくらなければならない。
成功と失敗の中で、日々学び続けられる人に成長してほしい。
そんな願いを抱いて日々、子ども達に向き合いたい。

〜引用終わり〜


私は1年前まで、自分に足りないものばかりを求めてきました。

自分がどうすれば…
自分が何をすれば…
自分が何を学べば…
自分がどう組み立てれば…

しかし、『学び合い』に出会ってその感覚は間逆になりました。
今は自分に足りないものを探すのではなく、そぎ落としてはいけないものを探すようになりました。

『学び合い』の考え方はごくシンプルです。
だからブレにくい。
そして、シンプルだからこそ、難しい。
そぎ落としてはいけないものをそぎ落としてしまい、クラスが落ち着かなくなったこともあります。
いらないものを足してしまって、子ども達の学びを止めてしまったこともあります。


これはそぐべきものか?これは足すべきものか?
これはハンドルの遊びなのか?それともルーズなのか?
これは信じて任せているのか?それともほったらかしか?


何度も間違え、落ち込み、修正し、子ども達の優しさに助けられながら毎日を過ごしてきました。
そして、その答えは今だに見えません。つかめません。
しかし、感じてはいます。


先日ジーンさんの事後研究会でも話しました。
『学び合い』とはそぎ落としてシンプルにしていくことがまず求められます。
そいでそいで、そぎ落としていくうちに、そいではいけないものに気づきます。
ちなみに私がそぎ落として失敗したものは「語り」でした。


そして、そぎおとしきると、加えてよいもの、加えるべきものにきづきます。
わたしにとって、それは先日埼玉の岩瀬さん、伊垣さん、中川さんとの出会いで気づかされました。
「ホワイトボードミーティング」「リーディングワークショップ」「ライティングワークショップ」にその可能性を感じています。


それらはつけくわえると、子ども達の動きが変わるのです。
子ども達曰く、
「これをやると学習しやすい」「伸びていく感覚がある」のだそうです。


先日、ブログ「縦横無尽」のnao-takaさんと同じやりとりをしました。
わたしが「語り」をそいではいけないものでは?と話したら


>大切な部分。最初は「課題」だと思っていました。最近は「評価」を重視してます。
評価と言うか,フィードバックというか。
でも,「語り」も言われてみれば,確かにこれは絶対に譲れませんね。


とコメントをくださいました。
それをみて、私も「その通りだな〜」と思いました。


tontanさんのブログのコメントにこんなことが書いてあります。


http://manabiai.g.hatena.ne.jp/tontan2/20110212

>私はそぎ落とすことが大事であって、tomukickさんは加算することが大事だと思っているから、上記のような解釈になるのでしょう。


加算することは大切です。
しかし、そぎ落とす前に加算していくと苦しい。
あれも足りない、これも足りない。
人間ですから当たり前です。

では、完璧じゃないから何もしなくてもよいのか?
それは違います。
ゆっくり伸びていくことが大切なのです。
完璧ではないからこそ、やらなければならないことがある。


そのために、そぎ落としてよいものとそぎ落としてはいけないものをみんなで考えていこうということではないかと思いました。

足りないものに目をむけるのではなく
そぎ落としてはいけないものをそいでいないか?

そこに目を向けませんか?