「魂」の可視化

スカウトは「ネッカーチーフ」を首に巻く。
なぜ「ネッカチーフ」を巻くのか?けっしてファッションなどではない。


ネッカチーフは己の「魂」の象徴だ。
「3つのちかい」と「8つのおきて」を守ることを皆の前で宣言して初めてネッカチーフをしめることを許されるのだ。


家で何度もちかいとおきてを唱え、暗記したこと
皆の前で震えながら誓ったこと
そして、「おめでとう」とネッカチーフを首に巻いてもらった時のこと
今でも忘れはしない。
ネッカチーフは今でも私の宝物。


私が現役で活動していたころ、集会の終わりに隊長によく言われたものだ。


「制服を脱いでも、心のネッカチーフはほどくな。」と。
たとえネッカチーフを身につけていなくとも、
己に厳しく、他に優しくあれという思いがこめられた言葉なのだろう。
(当時の私にはなんとなくしか理解できていなかったが・・・)


街でネッカチーフを巻いたスカウトを見かけると、声をかけたくなる。
それは、相手と自分が同じちかいとおきてを共有していると感じるからだ。


多分ネッカチーフを巻いていなかったら、自分達が同じ「魂」を共有していることにすら気づかず、通り過ぎてしまうだろう。



こんなことを考えていて、ふと思ったこと。


人って「魂」が可視化されることで、人と人はつながるきっかけをもつのかなぁ?



朝、黄色いたすきと旗をもって、子ども達の通学路に立つ保護者の方々。
「私は子ども達の安全を守りたいんです!」
そんな思いが黄色いたすきと旗によって可視化されている。
だからおのずと、「ありがとうございます。」という言葉が出る。


制服を身にまとい、パトカーに乗ってパトロールする警察官。
「私は市民の平和と安全を守るために働いています!」
制服とパトカーでそれがわかる。だから困った時
「すみません・・・。ちょっと困っているんです・・・。」
と相談できる。


「ネッカチーフ」「たすき」「旗」「制服」「パトカー」


その人の「魂」が可視化されることで、
人と人はお互いに声をかけあいやすくなり、つながりやすくなる。


じゃあ、『学び合い』では?

『学び合い』を行っている子ども達の「魂」を可視化するものってなんだろう?
う〜む・・・。
思いつかない。
魂がこもった目に見える何かがあれば、人と人がつながるきっかけを創れそうな気がするのだが・・・。


形にすることで考えられる危険性もある。
しかし、形に表すことで増す可能性だってある気がする。


1人も見捨てないという「魂」の可視化。
考えれば考えるほどドツボにはまる。